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2010・11・17 大刀洗にゆく その1

先週に続いてまたバスツァーに行ってきたSophieです。

今回は観光地としてはメジャーではない”大刀洗”というところです。

ローカル紙の記事で見つけたツアーで、前から行きたかった今村カソ
リック教会が行程に入っていたので、母と妹、それに妹の義姉(つま
り妹の夫のお姉さん)のY子さんを誘って今回は4人で出かけました。

(血のつながりはないのですが、このY子さんと私達姉妹は仲良しで、
まわりからは「3姉妹」と呼ばれています。)

大刀洗公園

大刀洗は三井郡という、福岡から高速にのれば30分ほどで行けるわ
りと近いところにあります。日本三大合戦のひとつ筑後川の戦い(大
保原合戦)で勝利した菊地武光が刀についた血糊を洗ったところーー
というのが地名の由来だそうです。

大刀洗公園にある菊地武光像
     ↓
菊地武光


あまり知られていませんが、ここは大正8年に陸軍の飛行場が作られ
陸軍飛行学校、航空機製作所などもあった東洋一と誇った航空戦略の
一大拠点で、特攻隊で有名な知覧は、ここの分校だったそうです。

町のあちこちに、広大な敷地だった当時の飛行場の門のあと、壕のあ
と、道路や農道になっているまっすぐにのびた滑走路跡、などが見ら
れました。

知覧では面会が許されなかったので、特攻隊として知覧に赴く前、家
族が面会を許されたのはここ大刀洗が最後で、全国から面会に訪れた
家族のための宿場も数多くあったそうです。

平和記念館に展示されている零戦
ゼロ戦

操縦席がこんなに小さな狭いものだとは・・
零戦操縦席


平和記念館に展示されていた、特攻隊員が最後に家族に宛てた手紙や
遺書はやはり涙なしには読めません。

この「子犬を抱く特攻兵」は多くの書籍やポスターにも使われた有名
な写真だそうですが、この5人の若者は沖縄南方で敵艦船に突入して
散華(戦死をさしていう言葉)。
  ↓
荒木伍長


子犬を抱く荒木伍長は17歳でした。

館内の写真は10代の若者が多く、まだ幼さも残るような笑顔を見る
と、特に同じ年頃の息子3人を持ちそれぞれにいろいろと悩み多き妹
は胸迫るものがあったらしく、

「なんか生きて行くってきついなあ、と思うこともあるけれど、覚悟
のうえで零戦に乗って散った短い命を思うと、苦しみもひっくるめて
生なんだ、生きてるからこそ味わえるんだな、と思う」

と、子供達とともに何があっても受けていく!という覚悟みたいなも
のが出来たようでした。

大刀洗航空基地は、昭和20年(1945年)3月の米軍B29の空
襲(1000発以上の爆弾が落とされた)により数多くの命とともに
その姿を消してしまいました。

犠牲者の中には、集団下校中の多くの子供達も含まれていたそうです。

その空襲時に日本機の体当たりで墜落したB29の乗組員の写真も、
日本人犠牲者と一緒に「語りの部屋」の壁に同じようにかかげてあ
りました。

B29の犠牲者の遺族はほとんどわかってないそうですが、ひとりパ
スクァーリさんという方の姪ごさんが大刀洗を訪れた、という新聞記
事を見つけました。
   ↓
http://sankei.jp.msn.com/life/trend/101102/trd1011022008015-n1.htm

日本人とアメリカ人、当時は敵同士であったでしょうが、どちらにも
愛する家族がいて、戦争がなければいかようにも開けていただろう未
来を断たれた無念は一緒だと思うとせつなくてたまりません。

先週から我が家にホームステイしているアメリカ人のケイトさん、話
しているうちに多彩な顔を持つ方だとわかりました。

その中のひとつの顔が平和活動家で、Never Again Campaign (NAC)
のサポーターでもあり、今年3月に来日したときは広島の平和資料館
を訪れNo Moreの思いを新たにしたそうです。

今週木曜日には福岡でもNACの会でスピーチをなさるそうですので
またその模様もお伝えできたらいいなあと思っています。

こうして大刀洗を訪れた時期に、ケイトさんのような、平和のために
尽力している方と出逢ったのも不思議なご縁だなあと感じています。

さて、実はこのツアー、人口減少をくいとめるため、大刀洗の宣伝を
するPR活動として大刀洗役場とJAがタイアップして初めて企画し
たものなので、ツアー代金が安いわりに盛りだくさんの内容にお土産
までついて、体も心も好奇心も大満足!のツアーでした。

大刀洗が「いなか」と言っても五家荘に行ったあとでは「平行移動」
で30~40分で行けるなんて、私にとっては全然「いなか」のうち
には入りません。

宅地分譲のチラシまで入っておりましたが、空気はおいしいしのどか
だし、添乗をしてくださった役場と農協の方達もとても仲が良く家族
的でいい雰囲気だし、アンケートの最後の「大刀洗に住んでもいいと
思いますか」の項目には思わず「ハイ」と答えてしまった私です。
ヾ(@⌒ー⌒@)ノ

では、長くなりましたので続きはまた来週----Continued next week 




平和記念館の外観は、太刀洗飛行場に建てられていた
民間航空格納庫をモチーフに設計されています。
     ↓
平和記念館


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コメント一覧

#336
今、生きていることは、先祖が過去の数え切れないほどの惨事にも、心の葛藤を抱えながらも生き抜いて来たということで有り難いです。

特攻隊は心痛みます。
#337 マックスさま、
私も同じ事を思いました。
そして、この歴史は絶対いまの子供達にも伝えていかねばならないことだと。
若い人たちは大刀洗に住んでいても戦争中ここが空襲されたことを知らないひともいるそうです。
#338 No title
恥ずかしながら「大刀洗」という地名を知りませんでした・・・
そんな大切な歴史が刻まれているとは!

特攻隊となった青年達のことは想像しようとするだけで、切なさがこみ上げてきます。
今ある幸せにあぐらをかいてはいけないよ、と、こういう機会があるごとに思うのですが、すぐに忘れてしまい、○○ならいいのに、と思ってしまう自分がいます。

歴史教育は、本当に大切ですね。
#339 Kumikoさん、コメントありがとうございます
実は私も知らなかったんです・・・ハズカシイ

多くの人に訪れてほしい平和記念館だと思いました

展示されてる遺書や手紙を読んでいる人はみんな、
手を合わせて読んでるんですよ。
私もなんだか自然にそうなりました。

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