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2010・6・30 この世では、さようなら

Sophieです。

6月21日に父が亡くなり、とりこんでおりましたので、先週の編集
後記をお休みしてしまってすみません。

入院してからちょうど3ヶ月でした。

母いわく、「ほどほどが信条のお父さんらしく、ほんとにほどほどの
時を選んだようね」。

今の保険制度では3ヶ月過ぎると病院側はほとんど利益がでなくなる
そうなのですが、その意味でも病院にも迷惑をかけないように、また
私達にも徐々に覚悟ができるように時間をくれ、母にとっても「一人
暮らしとはこんなものなのだな」と夜一人で過ごすことが慣れてきた
ころに、「もうよかろう」とでも言うみたいに、大きな咳を1、2度
して、スーッと息をひきとりました。

最後の2ヶ月は意識もありませんでしたから、痛みもなく死への怖れ
もなく、母に見守られながらやすらかな、幸せな最期だったと思いま
す。

3ヶ月間、毎日のように母を囲んで、病室に私達きょうだいや、いと
こ達や叔父叔母達が集い、差し入れのお菓子をいただきながら(ゆえ
に私達は看病疲れで痩せることもなく)まるでなにかのサロンのよう
に、いろんなおしゃべりをしながら過ごした時間は、変な感覚なので
すが、とっても「楽しく幸せな」時間でした。

今まで以上に絆が深まり思いやりに満ちたときを過ごせたことも、父
からのプレゼントであったような気がします。

26日に告別式を行いましたが、大学を退官して20年近く経つとい
うのに、600人が入るホールいっぱいの沢山の方が雨の中お別れに
来てくださり、また会場に入りきれないほどの献花、山のような弔電
もいただき、父の仕事や業績のことなど何も知らない孫世代にとって
は「おじいちゃんって、偉かったんだね」とびっくりしているようで
した。

ーーでもかくいう私自身も、弔辞をよんでくださった先生方の内容か
らあらためて、「ほ~、そうだったんだ・・」と初めて知ることも多
く、ただの「とっつきにくい頑固オヤジ」だった父の側面を知った思
いがしています。

父は病理学の教授でしたが、実は私は自分の父親が実際何をしている
のか、ある程度大きくなるまで知りませんでした。

「なにか顕微鏡を覗いて、解剖というのをするらしい」とは聞いてい
ましたが、小さいころは、「カエルやモルモットをカイボウ(←意味
がわかっていない)しているんだろう」ぐらいの感覚でした。

それが「どうも人間をカイボウしているらしい・・」ということがわ
かってくると、フランケンシュタイン博士みたいなイメージがわいて
きて、「このヒトいったい何をやっているんだろう・・」とちょっと
不気味に思えたり。

父は軟部腫瘍が専門でその分野では世界的な評価も受けていたそうで
すが、ことさら自分の仕事のことを話す人でもなく、また私も聞くで
もなかったので「何をしてるのかわからない」状態は続いていました。

病理医は、病変の組織標本を顕微鏡で良性か悪性かなどを的確に診断
し、担当医に助言する「患者がめったに見ることのない医者」と言わ
れています。

地味で目立たない、でも非常に重要な仕事なのに、世間の認知度は低
く(「白い巨塔の大河内教授」とか「向井千秋のご主人の万起男さん」
と言うと「あ~」という人も多くなったそうですが)、小児科医や産
婦人科医の不足が言われていますが、病理医の不足はその比ではない
そうです。

その「何してんのかワカンナイ」父をがぜん見直すきっかけになった
のが、高校の終わりにたまたま読んだ、アーサー・ヘイリーの「最後
の診断」という本でした。

内容のこまかいことは全然覚えていないのですが、とにかく「病理は
大事だ!」と感銘をうけたことと、登場人物の病理医の偏屈さと頑固
さが父に似ていて(?!)その題名だけは記憶に残っています。また、
アメリカにおける病理医の地位の高さにも驚いたことでした。

(もう一度さがして、読み直してみようと思っているところです)

「地味で目立たない」「学者で華美なことがきらいな」「”ほどほど”
が信条」の父らしく、葬儀のことも母に「すべて下から2番目で」と
言いおいていたそうで、

「棺はどれになさいますか?」

「下から2番目で」

「骨壺はどれになさいますか?」

「下から2番目で」

「祭壇は・・・」

「下から2番目で」

・・・と、葬儀社と母のやりとりは続き、しまいには葬儀社の方から、

「下から2番目はこれでございます」

で、すべてスムーズにコトは決まっていったのでした。

(「下から2番目」の、白菊だけのシンプルな祭壇はスッキリと美し
く、「すてき」だと皆さんからもなかなか好評でした。)

弔辞をうかがっても、「とっつきにくく怖い存在だったけれど、心底
やさしい人」というのが父の人間像であったようです。

きょうだいの中でも、私は一番父に似ていて、「橋の下に捨てても顔
ですぐどこの子かわかる」などと言われてきましたが、照れ屋で素直
にお上手が言えないようなところも、すごく似ていたと思います。

父が火葬される直前、生まれて初めて、

「お父さん、ありがとう」

「あなたの娘で幸せでした」

とやっと言えました。

そんなことは、生きてるうちにちゃんと言うもんだ、という人もいる
でしょうが、口に出さなくとも、きっと父はわかっていてくれたと思
います。

私も、言われなくても、ちゃんと愛されていたことがわかっていたん
ですから。

でも、これからは、母には出し惜しみせずに、ちゃんと伝えていこう
と思って・・・・

いや、やっぱり照れくさくて言えないかなあ~~・・。

お父さん、しばらくのお別れですが、また、天国で会えるよね。

それまでしばし、この世では、さようなら。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

<追記>
告別式では、弔辞の最後に私の息子が孫代表として、「お別れの
言葉」を述べました。
「英語リーディング筋トレ」の編集後記の方にはもちろんこれは
のせていないのですが、ここは個人的なブログでもあり、備忘録
としてほんとにワタクシゴトですが追記させていただきます。
前日に私も一応目を通しましたが、ほとんど手直しするところもなく、
彼の祖父に対する正直な気持ちがあらわれていたと思います。

「祖父への弔辞」

孫を代表してお別れの挨拶を述べます。
おじいちゃんとは去年の暮れに紅白歌合戦を一緒に視聴していたので、
今御霊前に立ち、このような形でおじいちゃんとの思い出を語るとは
思いもよりませんでした。

おじいちゃんは孫達にとってもとても怖い存在でした。
言葉数多く叱られることはありませんでしたが、
威厳と威圧感が伴う一言には、親の説教とは違う重みがありました。

しかし怖いばかりではなくとても優しいおじいちゃんで、
鉄道好きだったのでよく電車を見に駅や線路脇に連れていってくれ
たり、トイザラスにおもちゃを買ってもらいに行ったりしました。

分かりやすい優しさはなかなかありませんでしたが、
私が初孫として誕生したときに、私の写真を財布に入れて持ち運
んでいた話を聞いたときは嬉しかったです。

また大変記憶力が優れていて、私がおじいちゃんと同じ修猷館高校
に入学した際は、修猷館館歌をまだ覚えていると言ったり、
私が大学で上京したときに住んでいた周辺の駅名を
私より詳しく知っていたり、何度も驚かされることがありました。

クロスワードパズルが大好きで、新しい言葉もいろいろ教えてもら
いました。

水戸黄門やサスペンスドラマも好きでよく一緒に見ましたね。

あれやこれや思い出はつきません。

今では私達孫も手足は伸びきったものの、人間としての成長は
妥協を許さないおじいちゃんが期待していたものには
まだまだ遠く及ばない状況です。

会うたびに握手をして「しっかり。」と激励してくれたおじい
ちゃんを思い出しながら、
何か困難に向かい合ったときは「おじいちゃんならどうするだろう」
と自分に問いかけながら、明日から日々精一杯生きて行きます。

おじいちゃんの孫として生まれてこれたことをとても誇りに思います。

今まで長い間お疲れさまでした。そして私達孫を可愛がってくれて
ありがとうございました。

おじいちゃんの大切なおばあちゃんのことは、私達が全員でこれから
守っていきますから、安心してください。

お別れするのは寂しいですが、これからも天から皆を見守っていて
下さい。
さようなら。



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コメント一覧

#225
ご冥福をお祈りいたします。

最後まで良い影響力いっぱいのお父さまでしたね。

ご長男が初孫だったのですね。

怖くて優しいとおっしゃっていました。

ある分野で第一人者とは本当に素晴らしいです。

素敵なお父さまでしたね。
#226
お見舞いでさえも、楽しく絆を深められるいい機会になった、というのは、Sophie-sanのご親族の皆様が元々仲良しでお互いに心遣いができる仲である証拠ですね。

最後までお父様は粋です。

Sophie-sanも含めご家族の方はしばらく大変でしょうし、そして何より淋しいでしょう。
でもこの絆があれば、温かい気持ちでいられそうですね。

ご冥福を心からお祈りいたします。
#227
マックス、ありがとうございます。
精一杯生きた父は、人生に悔いはないと思います。

マックスの言われるように、これからも身近に感じていくのかなあ
と思っています。
#228
Kumikoさん、ありがとうございます。

叔母たちとも、「あの病室で集まれないのがなんだか
さみしいねえ~・・」と話しています。

誰もがゆく道ですが、私も父のような最期が理想だなあ~。
「3ヶ月もねばらんでもいいよ」と子ども達は言うかも
しれませんが?!
#229 ありがとうございます***
ありがとうございます、Sophieさん**

ここを訪れて息子さんの弔辞を見せて頂きまたまた

とても深く感銘を受けました。

Sophieさんと接していると”ああ人間こうあるべき”

ともいうような何か尊い美しいものに触れているような

気が致します。

といってもちょっと天然でのんびりボケ加減が完璧な

マドンナの外見とマッチしてとても好きです。

・・という私も大ボケ、この間は高速インター2人して

お喋り中に通りすぎましたものね。

本当にお疲れ様でした* またぼちぼちお出かけetc

よろしくお願い致しますね♡  Fukko 
#230
Fukkoさん、ありがとうございます。
来週あたりからまた普通の生活に戻って行くことと思いますので
おつきあいよろしくお願いいたします。
food queenのリサーチにも協力いたしまーすv-222

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