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2011・11・2 広島へ

有給休暇がとれた娘と一緒に、先週広島に行って来たSophieです。

有給とれるのは1ヶ月前からわかっていたのですが、「どこ行く?」
「そうねえ・・」の繰り返しで全然決まらないグダグダの2人。
(2人ともこういう”計画”をサクサクたてるのがからきし苦手)

見かねた母が「私の古い友達が広島にいるからそこ行ってくれば?」

「そういえば近いのに広島って一度も行ったことがない」ーーとい
うわけで切符買いに行ったついでに宿もJRのパックで予約してもら
い、なにもかもセットになったお気楽旅行に出かけていったのでし
た。

そこまでしてもらいながらも、道中何回か「切符がない!」と騒
ぎ、探しまわった似た者ズボラ親子・・・私、通訳案内士の資格だ
けは持っているのですが、絶対「向いてない」と自分でも思います
・・・。

JRでもらったパンフレットに主な観光スポットは全部のっているし、
説明も書いてあるし、ルートは「いいや、わからなかったら人に聞
けばいいし」と確認もしないまま。

駅に着いてインフォメーションデスクのマップをもらい、わからなけ
ればまわりの人に聞く。看板や標識を見る。そしてまたひたすら聞く。

この「出たとこ勝負、なんとかなるさ」精神で当初の目的は全て完遂、
結局なんとかなりました。(ご迷惑をかけた皆様スミマセン、ありが
とうございました)

宮島のことなどはまたマイライフカテゴリーでブログに書くつもりで
すが、ここでは、原爆ドームや資料館を訪れて思ったこと、を述べた
いと思います。(・・って弁論大会みたいですね・・)

広島は日本人として一度は訪れておかねばならない場所だとはずっと
思っていましたが、それ以上に私にとって意味があるのは、母方の祖
父が当時福岡から広島陸軍病院に軍医として召集されており、ここで
被爆しているからでした。

生前の祖父から直接その体験を聞いたことはありませんでしたが、祖
父は句集や随筆集を5、6冊自費出版しており、その中に少し当時の
ことを書いてある箇所があります。

陸軍病院本院は爆心地にあり、もしあの時間(8時15分)にそこに
いたら祖父は間違いなく死んでいたでしょう。

ひょっとしたらそれで当時小学生だった母の運命も変わり、父とお見
合いすることもなく、私も生まれていなかったかもしれません。

皆実町というところに下宿していた祖父はいつもどおり7時過ぎに家
を出たのですが、たまたまその日、知人の隣家の若夫婦の赤ちゃんが
下痢をしているので見てもらえないかと頼まれ(祖父は小児科が専門
であったので)出勤の途中立ち寄っていたので助かったのだそうです。

「診察を終わって若いお母さんと話をしている時だった。百雷の一時
に落ちて稲妻が百も集まったかと思った瞬間、私は家の下敷きになっ
ていた。しばらくなにがなんだか判らなかったが、ようやくのことで
屋根の裂け目を探して、潰れた屋根の上に脱出することができた」
(「小児診療五十年」より)

すぐに病院へ向かったものの、本院へ続く道は一面火の海で進むこと
も出来ず、御幸橋のたもとで火の手が鎮まるまで待機し、午後3時頃
になってやっと辿り着いたそうです。

「門を入ったところの病院の広場には、数えきれないほどの死体が転
がっていた。患者、看護婦、衛生兵など、みな着衣のままであまり外
傷なども見られず、あたかも寝転んでいるといった状態であった。生
存者は一人もいないようでうめき声ひとつ聞こえなかった。シーンと
静まりかえっているのが不気味な程で、これが死の静寂というのであ
ろうか。」
(「つれづれの旅」広島の思い出、より)

偶然同じ病院に半年前召集されていた祖父の長兄は、屋外で被爆し
亡くなっています。40歳だったそうです。

それからの数日間、祖父は不眠不休で次々に運び込まれてくる患者達
の治療(といってもせいぜい赤チンキを塗るぐらいしか出来なかった
そうです)をし、十数日たった頃、「病理検査の血液に白血球がひと
つもない」という報告を受け、また患者さん達が次々に鼻血を出す、
下痢や下血をする、頭髪がゴソッと抜ける、などの症状が出るように
なり、見当もつかないまま「これはすべて被爆に起因するのではない
だろうか」と、重症度と白血球の関連性のデータを取り始めました。

そうこうするうちに祖父自身も、全身倦怠感がひどく食欲がなくなる、
頭がボンヤリして思考力もさっぱりなくなる、という症状が出て来て
白血球も4000-3000-2400と減少していき(祖父のとっ
たデータでは1000以下になると全員死亡、2000以下でも多数
死亡だった)死を覚悟したそうです。

幸いなんとか好転して生き延び、祖父は90過ぎまで長寿を保ちまし
た。

同じ病院にいた兄弟なのに、こうも運命の分かれ道はわからないもの
だなあ・・と思います。

Wさんという婦長さんは、数日後に海軍士官と結婚するため呉に帰る
ことが決まっており、引き継ぎの残務整理をしているところに原爆に
遭ったそうです。

フィアンセの海軍士官の方がみえられ、祖父に「最後の様子を」と尋
ねられたものの、彼女の最後を見届けた者は誰もいないのでなんとお
答えしてよいか言葉がなかったーーという祖父は、こう書いています。

「戦争とは悲惨なものである。生と死はほんの紙一重、一日の違いで
あったとしみじみ感じたのだった。すべてはみな運である。また運と
思ってあきらめるより他にあきらめようがない。戦争という非常の時
はことにその感が深い」

資料館の展示だけではきっとその時のほんとの悲惨さは表せないし、
伝えきれないものがあるのでしょうが、亡くなった一人一人にそれぞ
れのかけがえのない人生があったことはたしかで、戦後の私達は間違
いなくこの沢山の犠牲のうえに生かさせてもらっているのだと想い、
慰霊碑の前で深く深く頭を垂れたのでした。

ちょうど倉敷からの中学生が祈りを捧げ、代表の子が平和の誓いを
読み上げていました。
  ↓
DSC00841_convert_20111101211431.jpg

原爆ドームの前では厳粛な気持ちになります
  ↓
広島行き

公園内で、被爆2世というガイドの方が、放射能の影響についてもい
ろいろお話してくれましたが、最後に、「数日後には線路を復旧させ
電車が動き出した、銀行も営業した、数十年草木も生えないと言われ
た広島の焦土が、7年後には完全に復興した。広島はほんとにすごい
んだ!
」と自慢されていました。
(ほんとにすごいです!)

復興の原動力はやはり「希望」だと思います。

これからの日本も、みんなが「希望」を持てる国であってほしいーー
と願いつつ、お腹がグーと鳴り、母の友人オススメの「みっちゃん」
本店にお好み焼きを食べに急ぐ私と娘でありました。
  ↓
DSC00843_convert_20111101211623.jpg
何層にもレイヤーになった広島風はキャベツも具も山盛りですごく
美味しい 娘のは牡蠣入り。  

そのあと広島城へ
 ↓
DSC00854_convert_20111101211828.jpg
祖父の本には広島城についての記述もあります。
 ↓ 
「原爆の翌々日私は命令受領のため城内に入った。城門を入って見あ
げると、毎日のように眺めていた空にそびえ立っていたお城が天守閣
がない。近づいて見ると、お城のあったところにあたかもマッチ箱を
引っくり返し、マッチの軸でもバラ撒いたように積み重なって、お城
がペチャンコになっていた。昨日までのあの威容を誇っていたお城は
一体どうしたのか。」


戦後は市井の一開業医として、未来を担う子供達をみてきた祖父は
誠実に真面目に質素に生き、80を超えて自分の体を診てもらうた
めに大学病院へ行くのにもバスを乗り継いで通っていて、母が
「タクシーぐらい乗ってもバチはあたらないのに・・」と言ってい
たことを思い出します。

若い頃は祖父の戦争体験などあまり興味もわかなかった私ですが、
この年になって広島を訪れ、またあらためて祖父が残してくれた本を
読んで、淡々と記述されているけれども「この世の地獄」を見た祖父
は自分のそれからの命を「いただいたもの」としてほんとに感謝して
無駄にすまいと自分を律して生きてきたのではないかなあ・・などと
思ったりしたのです。

「ああ、もう少しちゃんとおじいちゃんの話も聞いておけばよかった」
ーーーと、よくある話でしょうが・・「後悔先に立たず」です・・・。


つづく
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コメント一覧

#668 No title
Sophieさんの家系はお医者様が多いですね!

そして自費出版された本の内容は、事実だからこそたんたんと記述されていますが、胸にせまるものがあります。

そして戦時の想いをずっと貫いたおじい様は立派な方ですね。

家では作れない広島風お好み焼き!おいしそう!
食べたくなりました^^
#669
御祖父様の自費出版書は、出版社に見せて全部、一部または寄せ集めて出版して欲しいです。

ソフィーの大切な命は、御祖父様が出産を助けたことで維持されているのですね。素晴らしいお話です。
#670 Kumikoさま、
そうなんです、淡々としているからこそ、こちらの想像力で
かえって悲惨さが伝わってくるような気がします。
ああいう体験がその後の人生に影響を与えないわけがないので
心中はどうだったのかなあ・・・といまにして思います。

実は広島風お好み焼き、初めて食べました。
これは関西風とは別物の食べ物ですね!
美味しくてびっくり。
#671 マックスさま、
そうですね、出版まではしなくとも、被爆した一軍医の記録として資料館においてほしいなあ・・・とは思いました。
祖父が生きていてくれて良かったな・・と
あらためて思いました。
#672 No title
Sophieさん こんにちは。 今回の編集後記も大変感動しました。
おじいさま、大往生されましたね。原爆の日の出来事は 偶然なのでしょうが、運がすごく強い人っているんだと思います。以前 広島で被爆された方が出張で長崎に行ってそこでも被爆されたとか、、その方も80歳すぎまで生きられたとか、、。
私の友達の友だちの話になりますが、お父さまが 原発で働いていたそうで、あの震災の日、その子のお父様、地震の昼まで
福島原発で働いてたらしいです。たまたま作業服のまま実家の愛知に戻ったらしく、もし、出るのが一時間遅かったら、来週の弟の結婚式がお葬式になってた、って話したそうです。職場の人達はみんな津波で亡くなったらしいです。
強運の人っているんですね。
Sophieさんの広島の続きを楽しみにしてます。

#918 管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
#920 BTさま、本について
祖父の本の件ですが、余分がなく差し上げられるものがありませんので、よかったら、広島の部分だけをコピーしてお送りすることは出来ます。連絡先、送付先などをまた、非公開コメントで教えていただけますと幸いです。
#921 管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
#922 承知いたしました
お盆過ぎになると思いますが、今月中にはお送りしたいと思います。
お母様はご存命なのでしょうか?当時の思い出話などお聞かせねがえれば、うちの母も喜ぶと思います。ではまた後日に。
#923 管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
#924 管理人のみ閲覧できます
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