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2011・11・30 ギンギラふたたび

2月、7月に続きまたまた「ギンギラ太陽’s」の舞台を観に行って来
たSophieです。
  
お決まり、舞台前の写真撮影。Krispy Kreme キャラと。
      ↓
ギンギラ太陽‘s2011、11月

こちらは堂島ロールくん。
  ↓
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AMUプラザさん
  ↓
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真ん中の九州新幹線が主宰の大塚ムネト氏。
脚本のベースとなる情報データが正確で、ちょっぴり風刺もきいてい
て、笑いながら時々ホロリとさせ、最後はあったかい気持ちにもなれ
る。ほんとにお話作りがウマイと思います。
    ↓
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すっかりハマッてしまい、ギンギラを観に行くのが恒例行事になって
しまいました。しかも、一緒に行くお友達も1人、2人、3人・・・
と増えてゆき、ファン拡大にも一役かっている?!

今回は大きなひとつのストーリーというよりは、小ネタを集めたテン
ポのよいもの。

早速、最近オープンした第2キャナルBarneys New Yorkキャラも
出てきました。

あいかわらず、天神と博多駅の狭間で身の不運を嘆くゲイツさんが抜
群におもしろい♪

地元密着型の劇団ギンギラ太陽’s、「地元民にしかわからないネタ」
だからこそ、観客が舞台と一体となって共感できるのだと思います。

「メーデー、メーデー、こちらキャナルシティ」

博多駅からちょっと離れた中洲地区にある商業施設キャナルシティが、
リバーウォーク北九州や西区のマリノアシティなどと売り上げ戦線の
報告をし合うところから始まり、それぞれに新博多駅に客を奪われた
ことを嘆きます。

ブランドもどんどん引き抜かれていなくなっちゃうし。

「くそっ、第2キャナルの応援が遅れている」

「ねずみも逃げた~~」「ねずみも逃げた~~!」

ーーというところには笑いました。

実は第2キャナル構想の最初は、屋内型のディズニーの施設をもって
くるということだったのです。

が、世界同時不況がおこり計画は頓挫。

結局9月末にオープンした第2キャナルには、九州初のH&M, 国内
最大規模のZARAやFrancfranc、ユニクロ、が核テナントとして入り
ました。

そりゃ、ディズニーの方が集客力はあったでしょうね。

私は、博多湾の埋め立て地にKyushu Disneylandを造ってくれないか
なあ~、そうしたら中国、韓国などの海外、また国内からも観光客が
10倍は来るようになるんじゃない?(^ ^)などと、ずっと期待してい
るのですが・・・。

ディズニーといえばーーーー

先日テレビで、オリンパスの損失隠しに関して、元社長ウッドフォー
ド氏が来日し、インタビューを受けているのをたまたま見ていました。

菊川前会長が「損失隠しはごく最近になって知った」と発言している
ことに対して、ウッドフォード氏は「そんなことは信じられない、あ
のばかげた会社を買ったときに彼はいたのだから」というようなこと
を反論していて(私はなんとなく英語を聞きながら下に出る日本語を
読んでいたのですけど)「ばかげた会社」とテロップに出たその単語
を、たしか彼は"Mickey Mouse company"って言ったんです。

Mickey Mouse company って、何かディズニーキャラでも作ってい
る会社?

私のいいところ?!は、自分が無知であるということをよく知ってい
るということです。(べつに自慢にもならないけれど・・)

無知な私はすぐ辞書を引きます。

すると、ありました、ありました!

形容詞で、「陳腐な、くだらない、ちゃちな」。COBUILDによると、
silly, childish, easy, worthless などの意味があるようです。

ほ~~。

Mickey Mouseもこんな風に使われたんじゃ、迷惑だと思うのです
が・・・?!

「それでも、どんたくにはこれからも来てくれ!」(今年、博多どん
たく港まつりのパレードにはミッキーマウスたちが参加したのです)
とキャナルも叫んでいましたし、ぜひミッキーにも毎年来てもらい、
こちらも恒例となり福博の街全体の活性化に一役かってほしいもの
です。





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東京へ

夕方、甲府駅で従妹と別れてからーーーの続きです。

東京へ向かう特急あずさ自由席は満員でした。

山梨は十分日帰り圏内なのだなあ、と再認識・・。

しばらくドア付近で立っていたのですが、八王子に着く少し前、車掌
さんがやってきて、「4両目の最後尾に席がひとつ空いてますから、
移動されませんか」と教えてくれ、わざわざ案内してくれました。

やさし~い!感激です

東京駅で降りる時、ちょうどその車掌さんが出口付近にいたので、あ
らためてお礼を言うことができました。

私は、制服姿(に限らず、職業をあらわす服なら何でも)の男の人と
いうのが好きで、しかもその制服姿で職務を忠実に誇りをもって果た
している姿というのはとてもシビれます。

車掌さん、運転手さん、警察官、パイロット、消防士、郵便局員、自
衛官、ローブ姿の裁判官、etc,,etc,

ああ、アメリカの映画館で見た “No Way Out”(邦題「追いつめられ
て」)のケビン・コスナーの白い制服姿は最高にかっこ良かったなあ
~♡などと昔のことまで思い出しながら、赤坂見附のホテル到着。

東京は9月の息子の結婚式以来。

今回は息子の新居を訪ねるというのがメインの目的ですが、その他に
も同窓会、マイミクさんたちとのご対面、マックスとランチ、など盛
り沢山のスケジュール。

土曜日の午前中はあいにくの雨でしたが、(これも楽しみにしていた)
上野動物園のパンダを見に行きました。

雨の朝のためかまだ人も多くなくて、前へ進めと急かされることもな
く、心ゆくまでゆっくり見ることができました。

パンダってほんとにカワイイ!見飽きることがありません。
  ↓
パンダ

女の子のシンシンの方が活発でした。木と格闘。
  ↓
パンダ


まわりは家族連れやカップル、ツアーのグループ、などの中で、感激を
分かち合う人もなくひとりで「キャー、カワイイ!!」と奇声をあげる
熟女・・・なんか異様だな、と自分でも思いましたが。

上野動物園入口前にあるポストはパンダポスト。
  ↓
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西洋美術館では「ゴヤ展」を観てきました。
  ↓
ゴヤ展


こちらも、列をなすことはなかったので、東京にしてはゆったりと
見られたと思います。



丸の内フォーシーズンズホテルで初めてお目にかかったマイミクさん
は(お顔を出したくないということでお写真のせられないのですが)
想像どおり、知性あふれた素敵な方々でした。

いつも日記で普段の生活のご様子などを知っているので初めて会うと
いう感覚はありません。

4時間、お話がつきることなく、ほんとに楽しくおしゃべりが出来ま
した。

夜はオアゾに移動して、小学校時代の同級生の東京支部?!同窓会。

全部集まれば30名ぐらいにはなると思いますが、今回は20名集ま
りました。

卒業以来という方も数名いたのですが、ンン十年たとうとも、どんな
にオジサンオバサンになろうとも、あっという間に小さかった頃の素
の自分に戻れるというのが同窓会のいいところですね。

翌日は横浜へ行き、息子夫婦とシェラトンの上でランチ。

そのあと徒歩で新居であるマンションに向かいました。

両側を電車の線路に挟まれており、最寄りに3つ駅があり、何かの線
が使えなくても他の線で帰宅できるという便利なところ。2重窓なの
で、騒音もそう気になりません。

ブラウンを基調としたシックでシンプルなインテリア。

なかなか住み易そうです。

お嫁ちゃんは役員秘書の仕事を続けているので、毎朝5時に起きて、
6時には家を出る生活だそうです。

頑張りやさんです。

二人で助け合って楽しそうに暮らしている様子がわかり、ほほえまし
く思い、また安心もしました。

夜は、独検1級、仏検2級を受験するために高知からちょうど上京し
てらっしゃったマイミクさんと赤坂の料亭で初めてお目にかかりまし
た。

英語は完璧なうえにドイツ語フランス語まで・・・す、すごすぎる
・・。

彼女はプロの翻訳家で、特に金融関係のお仕事では超一流です。

一日5000語を翻訳できちゃうそうです。(そのスピードは想像でき
なかったのですが、かなりすごいことらしい・・)

ほんとに「頭がいいっ!」という感じの方で、お話もテンポよく溌剌
としていてこれまた初めてお目にかかったとは思えないほど話がはず
み、あっという間に時間が経ち、最後は「申し訳ありません、そろそ
ろお店を閉めますので・・・」と店の方に追い出されて?!しまいま
した。

これは今度は絶対高知へ行かねばなりません

翌日は再び横浜へ向い、メルマガの発行者マックスとランチ。
  ↓
インターコンチネンタルにて
マックスとインターコンチ


飛行機の時間があり、あまりゆっくり出来なかったのですが、
今新しい事業を計画中だそうで、マックスにとって
来年はまたおもしろいことがいろいろと展開しそうな気配です。

わくわくしてらっしゃる気分が伝わってきました。

今回もたくさんの方に会うことが出来、お世話にもなりましたが
ひとつひとつの出逢いに感謝です。

私も1月にひとつ仕事をやめる予定ですので、時間もかなり融通がつ
くようになると思うし、息子達の所に行くという大義名分でまたちょ
くちょく上京したいと思っています。

(お嫁ちゃんにいやがられない程度にね?!



2011・11・23 山梨へ

福岡市民としてソフトバンクホークス優勝日本一は嬉しいSophieで
す♪

ーーが、実は先週水曜日から6日間、ずっと甲府→東京をうろうろし
ていたので、夜のニュースで結果を知っただけ。臨場感ゼロ・・・

従妹夫婦が、長年住んでいた出雲から今年3月に引っ越したので、新
居を訪ねるという名目で16日から3日間、母と叔母2人と一緒に甲
府へ行って来ました。

私は山梨へ足を踏み入れるのは初めて。

甲府は「盆地」だということは子供の頃習った知識で知ってはいまし
たが、見事にぐるり見渡すかぎり遠くに近くに山、山・・・しかもそ
の山々が”並”の山じゃない。

富士山を始め、八ヶ岳、身延山、北岳、甲斐駒、南アルプス・・山々
から発するいい”気”が盆地中に満ちているように感じました。

美術好きのジュンコ叔母が、画廊に勤める友人から「是非行ってみて」
と勧められたという「清春芸術村」にまず行きました。
  ↓
山梨へ


もと小学校だった敷地に、白樺美術館やルオー礼拝堂、安藤忠雄氏設
計の光の美術館(クラーベ・ギャラリー)、移築された梅原龍三郎の
アトリエ、などが建っています。

見応えもあるし、自然の環境との調和も素晴らしく、訪れた人をほっ
と癒してくれる所だなあーと思いました。

ラ・リューシュ(芸術家の育成の場として建設された集合アトリエ。
パリのモンマルトルにある本家本元をそっくり模して建てられたそ
う。モンマルトルのラ・リューシュにはかつてマルク・シャガール
も住んでいたそうです)
  ↓
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アントニ・クラーベの作品を展示してある安藤忠雄設計の光の美術館
内部。外から見た建物と中に入っての空間の使い方が全然違って驚く。
  ↓
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外側はシンプルな箱に見える
  ↓
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これはなんと茶室。阿川弘之氏によって「徹」と命名されたそう。
でもいったいどこから登る? しかも着物着て??
  ↓
山梨へ

黄色い建築物の題名は「エッフェル像」
  ↓
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雲一つない青空を背景に、白樺の美しさが映える
  ↓
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時々ここを訪れるという初老の紳士が、叔母達に「山梨県立美術館
は絶対行かれてくださいよ」と言われたので「では・・」と次は山梨
県立美術館へ。

ここはミレーの作品の収集で有名だそうで、「種をまく人」「落ち穂
拾い」などの他、バルビゾン派の画家達の作品も多く展示してありま
した。

山梨といえば、果物やワインのイメージしかありませんでしたが、芸
術面もこんなにすごいんですね!

夜は盆地全体の夜景を見渡せる露天風呂のある温泉に連れて行っても
らい、そこで山梨名物「ほうとう」と「鳥もつ煮」をいただきました。

「ほうとう」は観光客にとって好き嫌いが分かれるそうですが、私は
大分の「だんご汁」も大好きなので、この系統は好物です♪

鳥もつ煮は2010年のB-1グランプリで優勝した甲州名物だそうで、
こってりした甘辛さがとっても美味でした。

翌日は、本栖湖―精進湖―西湖―河口湖とまわって、富士山の五合目
までドライブ。

本栖湖は晴れて風のない日は、水面にきれいに逆さ富士が映り、
その光景が1000円札の裏の図柄になっていますーーと聞き、
「ホント?」と1000円札を取り出して見てみました。ほんとだ!
毎日のように使用しているお札なのに、野口英世の裏がどういう
図柄かなんて、全然覚えてもいませんでした。

精進湖から見る富士山は、前にちっちゃい富士山があるように見え
るので「抱え富士」と呼ばれるそうです。
  ↓
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ここは西湖の端っこだったか河口湖の端っこだったか・・・
もう覚えてないわ、このナサケナイ記憶力・・・
  ↓
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河口湖沿いはお店も多く、綾小路きみまろのお店もありました。
ミーハーな私はすぐ記念写真。お店の中にはライブDVDが流れていて
「言ったことは忘れ、聞いたことも忘れ、そして忘れたことさえ
忘れていくーーー」
なんて、まるで私に話しかけているようではあり
ませんか!
  ↓
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初日にも増して空気も澄み、青空が広がる素晴らしい秋晴れで、五合
目からの眺望も北アルプスまで見え、息をのむ雄大さ、美しさで感動
しました。

富士山の中に入ってしまうと、山肌も黒く、絵でみるような青いイメ
ージとは程遠いのですが、各湖から眺める富士山は本当に神々しいく
らいに美しく、みな自然と手を合わせて拝んでしまいました。

ロッジの方が言われるには「富士山は日本一のパワースポット」
なのだそうです。

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富士山五合目でしか食べられないという富士山メロンパン。
  ↓
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従妹たちの住んでいるところは市内ではなく鰍沢というところなので
すが、「鰍」という字で思い出したことがあります。

4~5年前、娘と2人で北海道周遊バスツアーに行ったときのこと、
長い道中、時々ガイドさんがクイズをするのですが、「魚ヘンの漢字」
シリーズにこの「鰍」という問題が出て、「秋の魚なんだからサンマ
でしょ?」
ととっさに答えたおバカな私・・・。

(少し考えれば「秋刀魚」だということはわかったのですが)

正解は、はい、「かじか」です。

3日目は昇仙峡で自然がつくった造形美を堪能したあと、サントリー
登美の丘ワイナリーへ。

昇仙峡は紅葉の見頃。
  ↓
山梨へ

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昇仙峡のシンボル、覚円峰。
  ↓
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昇仙峡にある影絵の森美術館の藤城清治氏の作品の数々はどれも
幻想的で綺麗でした!
  ↓
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  ↑
登美の丘では広大なぶどう畑を見渡しながら美味しいランチをいただ
き、そして、母達を見送るために松本空港へ。

諏訪湖を通ります
  ↓
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3日間、長距離を毎日運転してくれた従妹に感謝です。

母達を見送ったあと、東京へ向かう私を甲府駅まで送ってくれた車中
で、久しぶりに従妹と2人でゆっくり話が出来ました。

ケイコ叔母の長女である従妹は私と同い歳なのですが、小さい時から
利発で独立心が強くしっかりしていて、すぐピーピー人に頼る私とは
正反対。

結婚してからも、どんな苦労があっても決して親にも頼らず弱音を吐
かず、「だって言ってもどうなるわけでもなし、しょうがないでしょ」
「みんな人生それぞれいろいろあるんだから」と自分で乗り越えて行
く彼女の芯の強さは身内ながらほんとに尊敬してしまいます。

人生何がおこるかわからない、おきたことで自分の力ではどうしよう
もないことは覚悟を決めて「受けて」いくーーという姿勢です。

「OOちゃんはほんとに偉いよね」と言う私に、母は、

「でも母親からしてみれば、娘が辛いときは心配してやりたい気もあ
る。何も話してくれないというのもちょっと寂しいかも・・・」

「じゃあ、ちょっとでもなにかあるとすぐギャーギャー言う私ってけ
っこう親孝行?!」

「ーーあんたは言い過ぎ」

やっぱり・・。

甲府は、すこし足を伸ばせばいろんな名所観光地に行くことが出来る
恵まれた場所だということがわかり、「次回はぜひ安曇野・あんずの
里を春に訪れたい」と従妹と約束して、甲府駅から東京へ向かった私
でした。

to be continued--



2011・11・16 湯布院へ

朝晩寒くなってきましたね。

先週末は、大分の湯布院に行って来たSophieです。

主人の先輩のOさんご夫妻が「昔からのお友達夫婦4組で久しぶりに
ゆっくり旅行兼お食事を一緒にしましょう」と計画してくださったの
です。

泊まりは会員制ホテル、夕食はムスタッシュというオーベルジュで。
(オーベルジュAubergeって知らなかったのですが、フランス語で
「主に郊外や地方にある宿泊施設を備えたレストラン」なんですって)

緑に囲まれた静かな雰囲気のなか、木の香りがする、家庭的な小さな
レストラン。優しそうな、お髭のご主人が自らお料理も運んでくださ
り、さりげない程よいおしゃべりが出来、ワインやお料理、お塩の話
までしてくださいました。

久しぶりにお会いする皆様との会話も楽しく、帰りの時間を気にする
こともなくゆっくりとした時が流れます。ああ、優雅・・・

湯布院とくれば温泉。

ホテルの露天風呂は目の前に雄大な由布岳が見えます。
   ↓
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「いのちの洗濯とはこのことね~~ああ、極楽極楽」ーーとつぶやき
ながら、ふと、英語でこういう時「あ~~heaven, heaven」なんて
言うのかしらん?などとくだらないことを考える私・・.

翌日曜日は、各家族自由行動で三々五々帰る、ということになってい
たので私達夫婦は金鱗湖周辺を散策。

すっかり観光地化して、いろいろ新しいお店が出来ているのにびっく
り!

韓国からの観光客が多かったようなので、海外からの旅行客に与える
震災の影響も少しはなくなったのかな、と感じました。

ゆふいん駅前
  ↓
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お昼にとり天でも食べて帰ろうかとしているところに、Oさんから電
話がはいり「急なんだけど、杵築まで行きませんか?」とのお誘い。

杵築は国東半島にある静かな城下町で、白壁の続く昔ながらの武家屋
敷で有名ですが、私は訪れるのは初めて。

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市役所の入口
 ↓
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武家屋敷地区の中にある杵築カソリック教会のフラガ神父様(スペイ
ン出身)は、ある皇族の方にもパエリアをお教えしたことがあるとい
うほどの料理の名人です。

お料理の本も出されています。
  ↓
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Oさんの妹さんがフラガ神父様と懇意にしてらっしゃる関係で、ちょ
うどこの日「教会で一緒にお昼をいただきましょう」というタイミン
グのいい話となり、私達も誘っていただけたというわけでした。

湯布院まで来ていなければ、杵築まで足をのばすことは出来なかった
でしょう。なんてラッキー~~~
お世話になったOさんに感謝です

武家屋敷がそのまま教会になったとってもユニークな教会です
  ↓
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教会内部
 ↓
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フラガ神父様にひとつお料理を教えていただきました。
  ↓
土鍋にオリーブオイル(わりとたっぷり)、つぶしたにんにくを5~
6かけ、種を抜いた唐辛子を3本ほど、岩塩少々を加えてあたためま
す。熱したところへ、いかソーメンを2~3パック、ジャッと入れて
出来上がり。

カリカリにトーストした薄切りフランスパンなどにオイルごとのせて
いただくとワインにぴったりのおつまみになります。

このお料理、本来なら「うなぎの子」を使うのだそうです。
(いかソーメンを使うと安くて手軽に出来る)
博多なら、白魚で作ってもいいですねー。

優しくて面白くてほんとに魅力的な神父様で、地域に溶け込み地元の
皆さんに愛されている様子がわかりました。

神父様とツーショット
  ↓
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いつまでもお元気でいらしてくださいね!

あたたかい気持ちで帰路につきました。

帰りは道を間違えませんでしたよーーーというのも、往路、大分県に
行くのになぜか主人、高速を反対方向の熊本方面へ走っていたのです
(笑)実は私は助手席で眠りこけていて、目を覚ましたら「柳川」の
文字が・・。

「いやー、しばらく来てなかったから間違えた」・・って、アナタ
ご自分大分県の出身でしょ?!

結局大牟田まで行ってしまってUターンしたのですが、この顛末は主
人の名誉のために他のご夫婦にはバラしませんでしたよ。
(と言いつつここで言いふらす私って・・・)ヾ(~O~;) コレ

日曜日にペーパードライバー講習に行っていたという娘、担当になっ
たのがイヤミな教官だったそうで、

(金八風に)「はい、ここ何キロ制限かわかってますか~?」

「はい、標識見てますか~?」

などと散々注意されおちこんだ・・と言っておりました。

「いいのよ、厳しくしてもらった方が安全のために」

となぐさめながら、チラと主人の方を見て、心の中で

(標識見てますか~?)

とつぶやいた私なのでした。
助手席で寝るなッ!と夫は言うでしょうけど・・・)





2011・11・9 群れて慣れて頼って

Baselでのインドアテニスで準優勝した錦織圭、すごかったですね!

松岡修造と一緒に気分が高揚してしまったSophieです。

さて、ひとつ前のブログmy lifeカテゴリ「宮島へ」で書いたのですが、
広島の母の友人を訪ねた時、フラダンスのお稽古にも「級」があって
試験を受けるたびにかなりのお金がかかる、という話を聞きました。

日本って、不思議なことに、どんなお稽古事でもなぜか組織が出来て、
カリキュラムが細かく決められていて、到達度によって級とか段とか
資格とか与えられ、そのたびにお金がいるーーというシステムになっ
ていますね。

昔アメリカに住んでいた頃、キルトを習っていたのですが、そこでは
基本的なことをひととおり教わったあとは、個人の自由で自分の作り
たいものを作ったり、生地も好きなものを選んだり出来て、わからな
いところは先生がアドバイスをくださったり、そういうスタイルで皆
自分の必要なもの、好きなもの、を作っていました。

なかには、「この色合わせはどうよ」というような作品になること
もありましたが、それはそれで、その人の個性が出ていてみなそれな
りにユニークでおもしろかったと思います。

日本に帰国してキルトを続けたいと思って近くのお教室に入ったので
すが、そこではトップの先生(あるいは協会?)が決めたキッチリと
したカリキュラムがあり、「これはいらない」とか「作りたくないか
らスキップしたい」ということが出来ず、生地もどういうものを使う
かということにかなり制約もあり、なんだかそういう「枠」にはめら
れてしまうのがいやで、やめてしまったことを思い出しました。

まあ、カリキュラムがきちんとしているということは、どこで習って
も均一にムラのない指導を受けられるというメリットもあるのでしょ
うし、どちらがいい、悪い、とは言えませんが。

でももう少し鷹揚に、個性とか自由な選択とかが活かせるかたちにし
てもいいのではないかなあ・・などと常々思っていたところに、最近、
堀文子さんという93歳の画家のドキュメンタリーをNHKでやって
いるのをチラッと見る機会がありました。

「群れない、慣れない、頼らない。これが私のモットーです」

「自分は自由でいることに命をかけてきたような人間です」

という堀文子さんは、何ものにも縛られず権威に組せず、いかなる画
壇にも属さず、孤独を恐れずに自由を求め続けてこられてきた方で、
その言葉が多くの人に勇気を与えているそうです。

母が「堀文子の言葉 ひとりで生きる」という本を買ってきましたの
で、私も次に読ませてもらおうと思っています。

広島のオバチャマも、どちらかというとおよそ組織に属するーという
感じではなく、素っ頓狂であろうとも自分の心に正直に自由に生きて
こられた方ですが、そのため精神的には苦しい時期もおありだったよ
うです。

「群れない」というのは勇気のいることだと思いますーー特に「みん
な一緒」で和と調和を重んじる日本社会では。

私など、キルトこそ「もっと自由にしたいワ」などと偉そうにやめま
したが、本来は典型的「群れる、慣れる、頼る」人間です。

そうする方が「楽」なんですね。

でも、何かを成し得た人というのはやはり何か自分の信念というか美
学というか一本芯の通ったものを持っていて、決して易きに流れず迎
合しなかった人なんだなあ・・・。(と、昨今の明治や昭和を舞台に
したテレビや映画を見て思うこと)

ガッチリした組織の機動力と、個人の自由と、そのバランスをとるこ
とが出来れば一番いいのでしょうが。

これから何かを成し得そうもない私は、きっと群れて慣れて頼りっぱ
なしで生きていくのだろうなあ・・・とは思いつつも、堀文子さんの
ご本を読んで「喝!」が入るかもしれまん。

また読後感などをお知らせしたいと思います。

宮島へ

「広島へ」の続きです。


縮景園を散策したあと広島駅にもどり、5時過ぎ、山陽本線で宮島口
へ。

縮景園
 ↓
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広島駅前でキャンペーンやってた名古屋の戦国武将隊。
  ↓
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言わずと知れた世界遺産の厳島神社がある宮島へはフェリーで10分。

秋の修学旅行シーズンなのか、大きな荷物を抱えた小学生が大勢乗っ
ていました。

小学生ってものすごく元気。

エネルギーの固まり!って感じで走り回ってしゃべりまくって、先生
からおこられてました。

手すりから乗り出して興奮気味の女の子たちが騒いでいる後ろに私と
娘は坐っていたのですが、その会話を聞いているとーー

「そんなに乗り出すと落ちるよ~」

「大丈夫だよ、落ちてもここからなら泳いで行けるよ!」

(いや、行けませんって)

お風呂一緒に入ろうね。でも、隅っこで入ろうね!」

「なんで~?」

「だって恥ずかしいやん、私、太ってるから~」

ーーー娘、こらえきれずブブッと笑う。

小学生の会話ってカワイイ。

泊まりはホテルでなく和風旅館がいい、という娘の希望で、宮島の宿
は見るからに歴史と格式がありそうな老舗旅館「岩惣」

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岩惣のすぐ横がもみじ谷公園
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鹿もいます。全然逃げない。
 ↓
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その昔、岩惣に宿泊した伊藤博文が、当主の孫娘の手をとって「もみ
じのようなかわいい手だ」と言ったのが、もみじ饅頭の由来だとか。

夕食後、ライトアップされた厳島神社あたりを散歩。
参道のお土産物屋さんは、フェリーで一緒になった小学生たちで賑わ
っていましたが、本殿のあたりは人もあまりおらず、静かな佇まいは
神々しささえ感じます。

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パワースポットの「気」をいっぱい入れよう!と深呼吸。

宿に帰って階下のお風呂に向かいながら、娘と「隅っこで入ろうねー,
太ってるから~」
と言い合っていたのですが、なんとその必要もなく、
2人で貸し切り状態でした。

檜の露天風呂も広くてすごく気持ちがよかったです♪う~ん極楽!

お風呂場に置いてあった「美水泉」というオールインワンの美容ゲル
クリームがさらっと使い心地がいいうえにしかも翌朝お肌がツルツル
であまりにも気持ちがよかったので、思わず売店でまとめ買いしてし
まいました。
(別にまわし者ではありませんが、これはかなりオススメです!)

ピカピカになったところで?!翌朝は、まずロープウェイで弥山へ。

眼下に手つかずの原生林。昔ここで空海が修行されたそうですが
よくぞこんなところまで・・・
  ↓
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ロープウェーの終点は獅子岩駅。ここから頂上まで徒歩で登るしかな
いのですが、ヘタレの私は途中の霊火堂でgive up・・・でも、ああ
頑張って頂上まで登るべきだったーーーと今になって後悔してます

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ここが”恋人達の聖地”と呼ばれているのは1200年消えない火(弘
法大師が弥山で修行中焚かれた護摩の火で、平和記念公園の平和の灯
火の元火となった)があるからだそうです。

その火がある所が、獅子ヶ口から歩いて頂上に至る途中の霊火堂なの
ですが、そこまでの道程はなかなかの苦行でありました。ゼイゼイ

やっと辿り着いて期待しながら見た火は、鉄瓶の下の炭でぶすぶすと
くすぶっているような感じで、とても”燃えさかっている恋”というイ
メージとはほど遠い・・・。

2人の感想ーー「ま、恋って結局こんなもんじゃない?」

下りはいつものことながら登った時よりも短く感じました。

愛い奴その1。途中で会った鹿。
  ↓
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その足で今度は、8月にリニューアルしたばかりだという宮島水族館
へ。

生命の源は海だということもあり、水族館の様々な不思議な生態や形
態の生き物を見ると地球の神秘が感じられて、私は水族館を訪れるの
が大好きなのです。

愛い奴その2。プライド高い?!フンボルトペンギン
  ↓
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愛い奴その3。オオカミウオ。
  ↓
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トリックアート
  ↓
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昼食はあなご飯をいただき、おやつに揚げもみじも食べた娘は大満足。

母へのおみやげは、なでしこジャパンが国民栄誉賞の記念品としても
らって以来ちょっとしたブームになっている「熊野筆」のメイクブラ
シ。
(広島駅で買うよりここで買った方がちょっぴり安かったです)

私も1本求めましたが、なめらかで柔らかい肌当たりはさすがです。

こういうところで幸せを感じるとき、「女に生まれてよかったなあ~」
って思います。

忘れちゃイケナイ。最後に本命?厳島神社へお参り。
  ↓
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ちょうど本社では結婚式が行われていました。
出雲でも感じたことですが、こういうところに来ると、風格と威厳、
そして宗教など超えたところでの日本人の精神性のふるさとーーと
でもいうべきなにかを感じます。


宮島をあとにして、広島に戻ってから、母の長年のお友達のお宅へ。

このオバチャマ、あまりにも素っ頓狂で面白いため、当時「8時だヨ、
全員集合!」が全盛期の頃、父が「カトウチャ」とあだ名をつけ、以
来我が家では「カトウチャ」でとおっていて、つい最近まで私はオバ
チャマの本名を存じ上げませんでした・・・。

ご主人をわりと早くに亡くされたあとは、娘さんが医院を継がれ、現
在は隣りのご自宅で猫5匹とビーグル犬1匹と一緒に、フラダンスを
趣味に、いきいきと楽しそうにお過ごしです。

フラダンスは先生になれる資格も持ってらっしゃるそうで、なんと医
院の2階を改装され壁一面鏡をはりめぐらした本格的な練習場を作っ
ておいででした。

でも、私知らなかったのですが、フラダンスにも「協会」があり習熟
度?!によって「級」があって、その試験を受けるたびにお金がいる
そうなのです。

2級で20万だか25万だかかかる、と聞いて思わず「ひえ~~!」
と声をあげてしまいました。

「2級でもう教える資格になるからね、あほらしいから1級はもうと
らんのよ」とオバチャマはおっしゃっていましたが、うーむ、英検の
7500円なんか、安いもんだな!って思ってしまいました・・。

歓待してくださったうえに夕食に豪華な中華料理をごちそうしてくだ
さり、心もお腹もいっぱいに満たされた私と娘でした。

広島と宮島で会った方はみんなとてもあたたかく優しくて親切で、娘
も「楽しかった~、絶対また来たい!」と帰りの新幹線でも興奮気味
でした。

オバチャマによると一面芝桜のそれはそれは見事な名所があるそうで
すので、ぜひ、その時期にまた訪れたいと思います!

その時は、弥山の頂上まで再トライするぞっ
(足腰鍛えておかねば・・・)



2011・11・2 広島へ

有給休暇がとれた娘と一緒に、先週広島に行って来たSophieです。

有給とれるのは1ヶ月前からわかっていたのですが、「どこ行く?」
「そうねえ・・」の繰り返しで全然決まらないグダグダの2人。
(2人ともこういう”計画”をサクサクたてるのがからきし苦手)

見かねた母が「私の古い友達が広島にいるからそこ行ってくれば?」

「そういえば近いのに広島って一度も行ったことがない」ーーとい
うわけで切符買いに行ったついでに宿もJRのパックで予約してもら
い、なにもかもセットになったお気楽旅行に出かけていったのでし
た。

そこまでしてもらいながらも、道中何回か「切符がない!」と騒
ぎ、探しまわった似た者ズボラ親子・・・私、通訳案内士の資格だ
けは持っているのですが、絶対「向いてない」と自分でも思います
・・・。

JRでもらったパンフレットに主な観光スポットは全部のっているし、
説明も書いてあるし、ルートは「いいや、わからなかったら人に聞
けばいいし」と確認もしないまま。

駅に着いてインフォメーションデスクのマップをもらい、わからなけ
ればまわりの人に聞く。看板や標識を見る。そしてまたひたすら聞く。

この「出たとこ勝負、なんとかなるさ」精神で当初の目的は全て完遂、
結局なんとかなりました。(ご迷惑をかけた皆様スミマセン、ありが
とうございました)

宮島のことなどはまたマイライフカテゴリーでブログに書くつもりで
すが、ここでは、原爆ドームや資料館を訪れて思ったこと、を述べた
いと思います。(・・って弁論大会みたいですね・・)

広島は日本人として一度は訪れておかねばならない場所だとはずっと
思っていましたが、それ以上に私にとって意味があるのは、母方の祖
父が当時福岡から広島陸軍病院に軍医として召集されており、ここで
被爆しているからでした。

生前の祖父から直接その体験を聞いたことはありませんでしたが、祖
父は句集や随筆集を5、6冊自費出版しており、その中に少し当時の
ことを書いてある箇所があります。

陸軍病院本院は爆心地にあり、もしあの時間(8時15分)にそこに
いたら祖父は間違いなく死んでいたでしょう。

ひょっとしたらそれで当時小学生だった母の運命も変わり、父とお見
合いすることもなく、私も生まれていなかったかもしれません。

皆実町というところに下宿していた祖父はいつもどおり7時過ぎに家
を出たのですが、たまたまその日、知人の隣家の若夫婦の赤ちゃんが
下痢をしているので見てもらえないかと頼まれ(祖父は小児科が専門
であったので)出勤の途中立ち寄っていたので助かったのだそうです。

「診察を終わって若いお母さんと話をしている時だった。百雷の一時
に落ちて稲妻が百も集まったかと思った瞬間、私は家の下敷きになっ
ていた。しばらくなにがなんだか判らなかったが、ようやくのことで
屋根の裂け目を探して、潰れた屋根の上に脱出することができた」
(「小児診療五十年」より)

すぐに病院へ向かったものの、本院へ続く道は一面火の海で進むこと
も出来ず、御幸橋のたもとで火の手が鎮まるまで待機し、午後3時頃
になってやっと辿り着いたそうです。

「門を入ったところの病院の広場には、数えきれないほどの死体が転
がっていた。患者、看護婦、衛生兵など、みな着衣のままであまり外
傷なども見られず、あたかも寝転んでいるといった状態であった。生
存者は一人もいないようでうめき声ひとつ聞こえなかった。シーンと
静まりかえっているのが不気味な程で、これが死の静寂というのであ
ろうか。」
(「つれづれの旅」広島の思い出、より)

偶然同じ病院に半年前召集されていた祖父の長兄は、屋外で被爆し
亡くなっています。40歳だったそうです。

それからの数日間、祖父は不眠不休で次々に運び込まれてくる患者達
の治療(といってもせいぜい赤チンキを塗るぐらいしか出来なかった
そうです)をし、十数日たった頃、「病理検査の血液に白血球がひと
つもない」という報告を受け、また患者さん達が次々に鼻血を出す、
下痢や下血をする、頭髪がゴソッと抜ける、などの症状が出るように
なり、見当もつかないまま「これはすべて被爆に起因するのではない
だろうか」と、重症度と白血球の関連性のデータを取り始めました。

そうこうするうちに祖父自身も、全身倦怠感がひどく食欲がなくなる、
頭がボンヤリして思考力もさっぱりなくなる、という症状が出て来て
白血球も4000-3000-2400と減少していき(祖父のとっ
たデータでは1000以下になると全員死亡、2000以下でも多数
死亡だった)死を覚悟したそうです。

幸いなんとか好転して生き延び、祖父は90過ぎまで長寿を保ちまし
た。

同じ病院にいた兄弟なのに、こうも運命の分かれ道はわからないもの
だなあ・・と思います。

Wさんという婦長さんは、数日後に海軍士官と結婚するため呉に帰る
ことが決まっており、引き継ぎの残務整理をしているところに原爆に
遭ったそうです。

フィアンセの海軍士官の方がみえられ、祖父に「最後の様子を」と尋
ねられたものの、彼女の最後を見届けた者は誰もいないのでなんとお
答えしてよいか言葉がなかったーーという祖父は、こう書いています。

「戦争とは悲惨なものである。生と死はほんの紙一重、一日の違いで
あったとしみじみ感じたのだった。すべてはみな運である。また運と
思ってあきらめるより他にあきらめようがない。戦争という非常の時
はことにその感が深い」

資料館の展示だけではきっとその時のほんとの悲惨さは表せないし、
伝えきれないものがあるのでしょうが、亡くなった一人一人にそれぞ
れのかけがえのない人生があったことはたしかで、戦後の私達は間違
いなくこの沢山の犠牲のうえに生かさせてもらっているのだと想い、
慰霊碑の前で深く深く頭を垂れたのでした。

ちょうど倉敷からの中学生が祈りを捧げ、代表の子が平和の誓いを
読み上げていました。
  ↓
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原爆ドームの前では厳粛な気持ちになります
  ↓
広島行き

公園内で、被爆2世というガイドの方が、放射能の影響についてもい
ろいろお話してくれましたが、最後に、「数日後には線路を復旧させ
電車が動き出した、銀行も営業した、数十年草木も生えないと言われ
た広島の焦土が、7年後には完全に復興した。広島はほんとにすごい
んだ!
」と自慢されていました。
(ほんとにすごいです!)

復興の原動力はやはり「希望」だと思います。

これからの日本も、みんなが「希望」を持てる国であってほしいーー
と願いつつ、お腹がグーと鳴り、母の友人オススメの「みっちゃん」
本店にお好み焼きを食べに急ぐ私と娘でありました。
  ↓
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何層にもレイヤーになった広島風はキャベツも具も山盛りですごく
美味しい 娘のは牡蠣入り。  

そのあと広島城へ
 ↓
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祖父の本には広島城についての記述もあります。
 ↓ 
「原爆の翌々日私は命令受領のため城内に入った。城門を入って見あ
げると、毎日のように眺めていた空にそびえ立っていたお城が天守閣
がない。近づいて見ると、お城のあったところにあたかもマッチ箱を
引っくり返し、マッチの軸でもバラ撒いたように積み重なって、お城
がペチャンコになっていた。昨日までのあの威容を誇っていたお城は
一体どうしたのか。」


戦後は市井の一開業医として、未来を担う子供達をみてきた祖父は
誠実に真面目に質素に生き、80を超えて自分の体を診てもらうた
めに大学病院へ行くのにもバスを乗り継いで通っていて、母が
「タクシーぐらい乗ってもバチはあたらないのに・・」と言ってい
たことを思い出します。

若い頃は祖父の戦争体験などあまり興味もわかなかった私ですが、
この年になって広島を訪れ、またあらためて祖父が残してくれた本を
読んで、淡々と記述されているけれども「この世の地獄」を見た祖父
は自分のそれからの命を「いただいたもの」としてほんとに感謝して
無駄にすまいと自分を律して生きてきたのではないかなあ・・などと
思ったりしたのです。

「ああ、もう少しちゃんとおじいちゃんの話も聞いておけばよかった」
ーーーと、よくある話でしょうが・・「後悔先に立たず」です・・・。


つづく
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