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2011・8・31 ”信じる”ということ

私はあまり人を疑わないというか、あまりものを考えてないというか、
良く言えば素直、悪く言えば無防備?!

ーーというのも、先週「振り込め詐欺」に遭いそうになったSophie
です。

英語関係の知人の名前とアドレスで、「ある仕事でスペインに来てい
てるのだが、ホテルに帰る途中で武器を持った強盗にあい、何もかも
盗られてしまい大変困っている。とりあえずホテル代と日本に帰る費
用をいくらでもいいので貸してもらえないだろうか。帰国したらすぐ
返すのでーー」というようなメールが ”Help! Emergency” という件
名で英語で届いたのです。

そう親しくはないけれど、お世話になったこともある方だったので、
「それは大変!困ってらっしゃるだろうな」と単純に思ってしまい、
翌日、指定されたWestern Unionで、お金(5万)を振り込もうとし
たら、窓口の方が、「この方のお名前で昨日から何人かが振り込まれ
に来られたのですが、ちょっとこれ問題になっているので直接ご本人
に電話で確認されて本当かどうか確かめられた方がいいですよ」との
こと。

ビックリしてしまい、共通の知人に電話で聞いてみたところ「彼女の
コンピューターがハッカーにのっとられて情報がすべて盗まれた」そ
うなのです。

つまりメールを出したのは彼女になりすました全くの別人

もちろん彼女はスペインなんかにはいなくて、日本で元気でご無事で
した。(それはまあ一安心)

(でもこの話よくある”手”らしく、ロンドンバージョンのメールを受
け取ったことがある人もいるそうです)

ハッカー(hacker)という言葉を聞いたことはあったけれど、なん
となく今まではスパイものの映画の中の出来事のような感覚でいたの
ですが、こんな身近に、一般人相手にも起こりえるのだわ・・と、先
進技術のこわい部分をあらためて思い知りました。

「でもホラ、振り込む前にわかったんだから、やっぱりなにかに守ら
れてたのよ、ラッキーだったわ~!」と、どこまでもノーテンキな私
に、「ちょっと考えれば、ヘンだとわかるだろう。なんでそうすぐ信
じるかな」と主人はあきれ顔でしたが、だって、とってもありそうな
話だったんですもの・・・。

基本、何に対しても誰に対しても「性善説」の私なのですが、ある友
人には、「みんないい人なんてそんな甘っちょろいヤワな考えでいた
ら、アナタがもし社長だったら会社はすぐのっとられてしまうでしょ
!」と言われてしまいました。

・・う~ん、そうかもね・・。・・・( ̄. ̄;)

(でもハナから何もかも疑って、人を信用しないのもねえ・・)

ところで、「信用」といえば credit

「クレジットカード」って言うくらいですから。

土曜日の同通クラスでリスニングをしながらの逐次通訳練習をした時
に(その日はYoung African Leaders’ Forum のQ&A sessionとい
うのが課題でした)、’take credit for them’ という箇所があって、
「クレジットカード」=「信用」という図式しかなかった私は、それ
を「彼らに信頼をおく」なんて訳してしまいました。

ああ、ハズカシ。

‘credit’ って ‘praise or approval because you are responsible
for something good that has happened’
という意味があって、
take credit for ~「それが自分の功績になる」。

この場合は、オバマ大統領が「スタッフのやったことを自分がやった
ことのようにはしないよ」と否定形で使っていたのでした。

そこで思い出したのが、映画 “In Her Shoes” の中で、私がとても
感動した部分で ‘credit’ という言葉が出て来たーーということ。

ちょっとスクリプトで調べてみました。

Rose が結婚することになって、祖母 Ella とRoseの父Michaelが、
Roseの母(Ellaの娘)の自殺以来の長年の確執を経て和解した時に、
こちらもやっと真に理解し合えた姉妹、幸せそうなRoseとMaggieを
見つめながらの会話。
 ↓
“They are so lovely. You should be very proud. “

と言うElla に対して、
「自分は何もできなかったんじゃないかと思う」
と、父親が humble に言います。
    ↓
“I’m afraid I can’t take much credit.”

(ふ~ん、こういうふうに使うのね・・)

そのあとの、彼をなぐさめる Ella のせりふがまたいいのです。
    ↓
“Well, it’s not always easy taking care of yourself and someone
else at the same time.”

相手の過去を非難せず、逃げ道と言い訳をかわりに言ってあげて、
しかも許して励ましてもいる。

Ella役はシャーリー・マクレーンなのですが、この人ほんとにいい味
だしてます。

さて、ここでまた話は変わりますが、5kg太って体脂肪32.8%になっ
てしまい、ダイエット続行中の私。( ̄ω ̄;)

毎晩の習慣になったお風呂上がりの体重計、先週の段階で2kg減、体
脂肪は(やっと)30%をきりました。

「ふむふむ、まずまずでないかい?」と気を良くしながら昨日も乗り
ましたらーーー

ええええ!!表示された数字がなんと48.3kg!! 前の晩より5kg近く
減っとる!

いきなり一晩にしてモデル体重です。・・・ンナバカな。

「電池がないんじゃないの?」「間違いなくこわれてるよね」
と夫と娘。

まったく「信頼」できない体重計です。

でも、私思ったんですーーー「人間って結局自分の信じたいことしか
信じない」
のだと。

ウソでもいい。 私はこの体重計を「信頼」して、いい気分でいる方
を選ぶことにしました。

ずっと、こわれたまんまでいいからね、体重計クン!




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2011・8・24 Happyな1週間

Sophieです。

今回初めて気がついたのですが、ブログ のカテゴリ欄の「英語リー
ディング筋トレ編集後記」のカウントがいつの間にか100を超えて
いました!

うわお。

継続は力なり。
(・・・って、なにも”力”にはなっていないのですが、100という
数字にはちょっと感慨深いものがあります)

「よう続いたなあ・・・」

でも、そう思うと、毎日発刊だった最初の何年か、編集後記を書き続
けていたマックスはいったいこれまでで何回書いたことになるんだろ
う??・・・すごい・・・。

身の回りの小さな出来事ばかりで、何もたいそうなことを書けない私
の編集後記ですが、今日もしばしお付き合いください。

先週は、卒業以来しばらく会っていなかった以前の英語の生徒さん、
ヒロトくんとサキちゃん兄妹が、夏休みで帰省しているということで
遊びに来てくれました。

ヒロトくんは医科大の3年生、お兄ちゃんより一足先に社会人になっ
たサキちゃんは保育園の先生で、今は彼らのいとこ兄弟が、うちに
通ってくれています。

「久しぶり~!」

こういうサプライズはほんとに嬉しいものです♪

二人とももう成人なので、一緒に「飲める」というのも嬉しいかぎり。

いただきもののスパークリング日本酒やヱビスビールがどんどんなく
なっていきます

恋話にも花が咲き、二人がおつきあいをしているカノジョとカレの携
帯の写真も見せてもらいました。

いいね~、青春

サキちゃんは今働いているところでお金を貯めて、留学をしたいのだ
そうです。

高良健吾似のカレがファッション関係のバイヤーをめざしているそう
で、自分もファッションは好きだしできればそういう勉強もしたいの
だとか。

娘が着ていたTシャツを見て、「あ、それアバクロですか?でも日本
で買ったんじゃないでしょ? そんなかわいいの、こっちで見たこと
ないもの」と、めざとく指摘。

さすが~!
娘いわく、「卒業旅行で行ったニューヨークで買ったもの」だそうで
す。

「ファッションの勉強したいんだったら、私のお友達のお嬢さんが今
パリでファッションのお仕事してるから紹介するわよ」ーーと私。 
パリで若い人たちがなにかの縁でつながっていくといいな~、と私の
お得意の?!妄想がまた広がります。

そのパリで働くお嬢さんをもつ、現在沖縄在住の私の親友も、帰省の
ついでに日曜日に訪ねてきてくれて一緒にランチをすることができま
した。

彼女のお嬢さんは、大学卒業後こちらのZARAで働きながらお金を貯
めて、パリの大学に留学し、卒業後あちらのファッションの会社に正
社員として採用され頑張っていらっしゃいます。(そこでは日本人が
正社員になれるのはほんとに稀なのだそうです)

「学生時代はダンスに打ち込んでいた、という点もサキちゃんと似て
いるな~・・」と二人の共通点を感じます。

ーーが、ただ違うところが、語学力・・・。

お友達のお嬢さんは小さいころアメリカに長いこと住んでいたため、
英語がもともと完璧。いまやフランス語もネイティブ並みで、スペイ
ン語もペラペラ、とのこと。

かたやサキちゃん、

「卒業して全然英語を勉強してなかったから、習った英語全部忘れち
ゃった~」と、「現在完了ってなに?」と聞いても「わかんな~い」
と笑う有様。ヾ( ̄o ̄;)オイオイ

そんなサキちゃんですが、でも

「徹底的に音読して暗記させられた"Welcome aboard, everyone."
で始まる教科書の文章はいまでも全部覚えてる」そうです。

それが「体で覚えた」感覚なのでしょうね。

若い時にやったことだからなのかはわかりませんが、それでも、大人
になってからでもやはり「音読、暗記」の効果はあるのではないかと
思います。

サキちゃんたちの従弟の中2のケンタくんにも、毎回教科書の音読暗
記を宿題にしています。

忙しい中学生のこと、ほとんど宿題としてはやってこずいつもその場
で5分~10分与えての泥縄式となるのですが、それでも集中すると
10回も読むと完全に覚えてしまいます。

競争のように私も一緒に覚えますが、彼の方が早いくらい。
しかも、
私は翌日どころかクラスが終わるとハレホレヒレハレと全部忘れてお
りますが、彼は翌週、前の単元を復習で言わせても、きちんと覚えて
いるのが脳の若さの違いでしょうか・・・。

まあ、私の場合はボケ防止ですが、サキちゃんはまだまだ若いのだし、
やりたい目標が見つかったら英語をまた勉強するモティベーションに
もなると思いますーーーそれこそ、「継続」は「力」になりますヨ。

「夢」を語る、っていいですね。

ヒロト君、サキちゃんと話すことで、私もとっても若返らせてもらっ
た気分です。

翌日はEちゃんから、「希望の美術系の大学に推薦で合格が決まりま
した!」との電話。

夢に向かって歩き出す人がここにまたひとり。

オメデトウ!

嬉しいことが続いて元気をもらえた私の1週間でした。


2011・8・17 アロマフレスカ、のち「老い」のこと

Sophieです。

皆様、お盆は如何お過ごしだったでしょうか?

我が家は例年大分県の主人の実家に帰るのですが、今年は主人と娘が
土曜も月曜も仕事だったので、ビトッと家におりました。

逆に、日曜日に義兄夫婦が福岡に遊びにこられ、
「JR博多シティにまだ行ったことがないので見てみたい」
と言われたので、上のレストラン街「くうてん」で一緒に食事をする
ことになりました。

お盆期間中は予約をとらない、というところも多かったので「予約が
できるところ」という選択肢で選んだのがアロマフレスカ(AROMA
FRESCA)


電話で予約をしたあとで、「お料理はおいくらぐらいから?」とおも
むろに聞きましたら「8500円からでございます」とのお返事。

げげっ!た、高い・・ワインでも飲めば軽く一人1万だわ・・。

でも、いまさら「じゃ、いいです」とも言えず。

「日頃お世話になっているお兄様たちに、こんなときぐらいご馳走せ
ずになんとする!」

手持ちの現金がなかったので、JCBをしっかり財布に確認し、いざ。

聞けば、アロマフレスカは銀座の有名なイタリアンとか・・そうだっ
たのか。

お店の入口は、駅ビルの中の店とは思えないほど重厚な扉で、さすが
ちょっと近寄りがたい高級なオーラが。

ゆったりとお食事が出来る雰囲気の半個室に案内され、食器は全部
ロイヤルコペンハーゲン

お料理も九州の素材を使ったヘルシーで洗練されたとても美味しい
ものでした。

スズキのクルード桃のマリネ
アロマフレスカ

アユの炭火焼夏のサラダ仕立て
アロマフレスカ

バジリコとジャガイモの冷製クリームスープ
アロマフレスカ

馬モモ肉のラグー自家製パッパルデッレ(・・って何・・?)
アロマフレスカ

焼きとうもろこしのリゾット薫製スカルモルツァチーズ添え
(これが見た目地味なんですがすっごく美味しかったです!)
アロマフレスカ

このあとメインの料理が出て来るのに時間がかかり、私達はおしゃべ
りしていたし急いでもいなかったので別に気にしていなかったのです
が、マネージャーの方が「お待たせして申し訳ありません」と、オマ
ケで一品、ペッカリーニの冷製パスタを持ってきてくれました。
感激。
アロマフレスカ

私はメインに赤ムツのポワレを選びましたが
DSC00561_convert_20110816230913.jpg
「牛サーロインビステッカ」というのもすごく美味しそうでした。
いつも人のが美味しそうに見える悪いクセです・・。

選べるドルチェはチーズを使ったアイスのようなムースのような・・
名前を忘れました
DSC00562_convert_20110816231009.jpg

この料理とサービスと雰囲気だったら、全然高くないわ、と思った
私です。

来週お誕生日を迎える主人のためには、ドルチェに"Happy Birthday"
のプレートをつけてくれました。

実は今年主人は還暦なので、先月「年金の手続きをされる皆様へ」
いう通知なども来て、「なんだかいよいよ”老後の準備”って感じよね
え~。年金最後までちゃんともらえるのかしらねえ~」と話しながら
いやがうえにも「老」という字が二人してチラチラしておりました。


その翌日、15日の送り火の夜、父方の叔母達とも一緒に母の家で食
事をしているとき、母が突然、「誰か今日”徹子の部屋”見た人いる?」
と言い出しました。

感動を分かち合いたかったらしいのですが、あいにく誰も見た人はお
らずーーー残念そうに「あ~あ、見てないの、誰も・・。96歳の
現役写真家、っていう人が出てそれはそれは素晴らしかったのよ!」
と言います。

「生き方がとにかく見事!しかもおしゃれで綺麗で、そのお年なのに
”来月ニューヨークに行きます”なんて言われるのよ。あなたなんか
全然かなわないわよー」

となぜか私に振ってくる母ーーーー(なぜ、私を96歳のひとと比べ
るのだ?!)

でも、ネットで検索してみて母の興奮ぶりが理解できました。

その方は笹本恒子さんという方で、小さい頃から油絵が好きで、毎日
新聞(当時東京日日新聞)に絵を描きながら働いていたところ、写真
協会の設立時に誘われ報道写真という分野を知り、女性として第一号
の報道写真家となられ、以来戦前戦中戦後の日本をファインダーを通
してずっと見てこられた方だそうです。

笹本恒子


テレビを見逃した私も、その方のプロフィールを拝見するだけで
「すごい方だな!」と思いました。
   ↓
http://www.mammo.tv/interview/archives/no142.html

「おひさま」のおばあさまから、このごろ素敵な歳の重ね方をしてい
る方々におおいに触発されている私です。

こういう方たちのことを思うとき、「老」という言葉よりも、どこか
で聞いて覚えていた「明日死ぬかのように生き、永遠に生きるかのよ
うに夢を見よう」
という言葉がうかんできます。

もちろん人にはそれぞれ決められた寿命というものがあるのでしょう
が、笹本恒子さんなどは「長生きしよう」と思われたわけではなく、
ただ一日一日を「明日死ぬかのように生き」てこられた方なのではな
いでしょうか。

主人も私も「老」を嘆くにはまだまだ早いわい!と気をとりなおしま
したが、しかしーーー。

私のこと言う前に

母よ、あなただって、それまでにはまだ20年もあるではないですか。

笹本恒子さんを見習って?!これからも元気で若々しくいてください




朋あり遠方より来るまた楽しからずや

8/10付の「鹿児島の隠れ家Cafe」の続きです。

"TAO Cafe"から鹿児島市内に戻ってーーーー

’偲ぶ会’会場のホテル(昔私達が住んでいた大学官舎があったところ
の近くにあるホテル)までN君のタクシーで送ってもらいました。

官舎や大学医学部(当時は木造でした)があったところは島津家久が
築城した「鶴丸城」というお城跡なのですが今は黎明館という歴史資
料センタ―になっています。

DSC00547_convert_20110811194150.jpg
  ↑
このお濠、昔はこんなに蓮の群生はなかったような気がするのですが。

DSC00546_convert_20110809171518.jpg
  ↑
城壁の向こう側に大学があった。

私達の遊び場だった七高グラウンド跡は県立図書館が建っていました。

グラウンド回りは春になるとクローバーでうめつくされ、シロツメク
サで冠や首飾りを作ったことを思い出します。

秋にはたくさんの赤とんぼが飛んで茜色の空を背景にそれはそれは美
しかったことも。
あの赤とんぼは今でも飛んでくるのでしょうか。

弟と妹が通った錦城幼稚園は移転したそうで、そのあとは葬祭場にな
っていました。

様子がガラリと変わっていても不思議なもので、道路の起伏だけでも
自分が当時のどこを歩いているかわかるのですね。

「ここは、セイカ(雑貨屋さん。セイカのアイスを売っていたので私
達は”セイカ”と呼んでいた)があった場所」

「ここらへんが文理学部の官舎があったところ」

「ここに動物管理センターがあって、ここがテニスコートだったね」

「ここが医学部の官舎が3つ並んで建っていた場所」

と、次々に当時の風景がよみがえりました。

6畳の部屋3つに台所という官舎は赤い屋根の小さな小さな家で、お
風呂はまきでたいていましたっけ。
毎回灰をかき出すのは子ども達の役目でした。


父は鹿大には8年たらずしかいなかったのにもかかわらず、九州大学
に戻ってからも40年以上その当時の先生方とは交流がずっと続いて、
名前の一文字をとって「遠友会」と名付けられた会は定期的に鹿児島
で開かれて両親は招待されていたようです。
(この会の名前は、「友(朋)あり遠方より来るまた楽しからずや」
という論語の言葉にもよっているらしい)

父亡き後も母のことまでこのようにお心遣いいただくなんて、鹿児島
の先生方の人情の篤さと優しさが本当にありがたく、心があたたか~
くなってきます。

DSC00551_convert_20110809171731.jpg


父が鹿大に病理学教室が出来て初めての教授として赴任したのは36歳
(母は30歳)の時だったそうですから、随分と若い教授だったのだな
あと思います。

妹はその1年後に生まれているのですが、「教授になった方に赤ちゃ
んが生まれられたというのは前例がなく、大学としてお祝いはハテ、
どうしたものか」と教授会で議題になったという話です。

妹は6歳まで鹿児島にいたことになりますが、赤ちゃんのときしか知
らない先生方もなかにはおられ、いまや3人の男の子のどっしりとし
た?!たくましい母親となった妹を見て「まあ立派に育って・・・」
と感慨深げでした。
(決して「こんな立派なオバサンになっちゃって・・・」とは言われ
ませんでしたヨ、ハイ)

父が若かったので、教室の先生方とも年齢がそう離れておらず、最長
老のK先生は78歳で最近亡くなられたということでした。

一緒に遊んでくれていた紅顔の美青年?!だったM先生もS先生も、
もう退官され名誉教授となられたそうです。

「最初にまかされた教室ということで、あの時はとにかく貧乏だった
けど、若さと気負いと夢だけはいっぱいあった」

と母が言うように、父は研究に関しては決して妥協を許さず、

「標本を切り出して写真を撮るのを30回やり直しをさせられて、30
回目にやっと”これならなんとか学会に出してもいいだろう”とお許し
をもらったことがありました」

と話された先生もいらして、

「まあー、それはそれはさぞ腹がたったでしょう」

と母が今さらながらに?!あやまったりしていました。

父に捧げる歌として「遠友会のうた」を作詞作曲して披露してくださ
ったK先生は、今でも父の名前が出ると握りこぶしになって汗かいて
緊張してしまうそうです。

どんだけこわかったんだか・・・。(-"-;)...

かく言う私も、愛想がなくあまり笑わないヘンクツ( ̄ー ̄)な子ども
だったようで、皆さんから

「まじめだったよね」

「いつも黙って本を読んでいたね」

などと言われましたが、騒ぐと父にすぐ「うるさい!!」と怒られる
わけですから抑圧されて?自然とそういう状態になったのではないか
と自己分析しています。

担任の先生から「笑わないお子さんですね、ご家庭に何か問題がある
のではないですか?」
と言われたこともあると母が言っていました。

・・・現在のヘラヘラぶり ヘ(= ̄∇ ̄)ノ♪からは想像もつきません。



すぐ近くに住んでいた、病理標本を作る研究補助員をされていたカツ
エねえちゃん(と私達は呼んでいた)がベビーシッターとして妹の面
倒をよくみてくださり「育ての母」と言われていましたが、当時20
代だったカツエねえちゃんもいまや65歳です。

カツエねえちゃんには私もよく家庭科の宿題を手伝ってもらいました。
(ネルの生地でパジャマを縫ってもらった記憶があります)

「食べたあとの片付けは、洗い桶を洗って伏せシンクを拭きあげると
ころまでが洗い物である」ということも、カツエねえちゃんのやるこ
とを見て覚えました。


父が倒れてもう回復は見込めないとわかった時点で、「最期のときは
誰とも会わない」と日頃から言っていた父の言葉を守り、ごく近しい
親戚を除いてはいっさいのお見舞いを失礼を承知でお断りしていた母
でしたが、カツエねえちゃんが来られた時だけは「家族のようなもの
だから」とほとんどしゃべれなくなっていた父の病室に入っていただ
きました。

父もとても穏やかな顔になり、手や足をさすってもらっていました。

名残惜しく帰られるときに、カツエねえちゃんが大きな声で

「先生、また来ますねー」

と、鹿児島弁のアクセントで父に声をかけると、思いがけずはっきり
とした声で父は

「もう、来んでええが」

と鹿児島弁で?答えたのです。

数年前に乳ガンの手術をされてあまり体調も良くなかったカツエねえ
ちゃんの体の方をそのとき父は気遣っていたのかもしれません。

「先生に、”もう来んでええが”と言われましたねえ」と
その話になると、私達は皆泣き笑いになります。


翌日は母のお友達や妹の同級生に会い、午後から一緒に仙巌園に行く
予定だったのですが、母も妹もお友達とのおしゃべりがつきず、帰り
の新幹線の時刻ぎりぎりまでそれぞれおしゃべりを続けることに。

私は、小学校の同級生のW氏に白熊とぢゃんぼ餅を食べに連れていっ
てもらい、念願かなって満足満足♪でした。

DSC00552_convert_20110809171858.jpg
  ↑
上から見るとクマの顔に見えますか?


母のお友達のおばちゃま方は皆お元気でお綺麗でおもしろくて、なか
でも、ご主人がラサールの先生だったやはり未亡人のNさんは鮮やか
なブルーの花模様のワンピースを着こなされとても80歳には見えま
せん。

「80になったら、もう子どもにもどって、好きなように生きるの。
我慢なんかしなくていいからねっ、ワハハッ」と笑われ、母もずいぶ
ん元気をもらったようです。

鹿児島(に限らずかもしれませんが)は「長男は特別待遇、舅姑には
絶対服従」という土地柄だったそうで、おばちゃまたちもいろいろご
苦労をなさったようです。

ご主人が長男しかもご両親と同居なさっていたという方の

「昼寝をするときは押し入れで寝てた」

というお話を聞いた時には、始終ソファでごろごろ寝てばかりいる私は

「どひゃ~、私、ぜっったいムリ!!」w( ̄Д ̄;)w!!

と、ひっくりかえりそうになりました。

「メニエールで起き上がれず寝込んでいるとき、主人と義母が”ごはん
はいらないから”と言って来たんだけど、”大丈夫?”と心配されるわけ
でもなく、誰も私にごはんを持って来てくれる人はいなかった」

というおばちゃまもいらして、

「何それ~!まさに”おしん”の世界ですねっ!」

と妹といたく憤慨してしまいました。

でも、父も若いころは母に対してもたいそう厳しくて、

「子どもは泣かすな」

「口で言われなくても目の色で動け」

「出かけるぞといったら5分以内には玄関に立っていろ」

「食事を待たせるな」

などと無理難題を言っていたそうですから、昔の男の人って皆そうい
う感じだったのでしょうか? 


教室の方々をお呼びして庭でビール箱並べてお食事を出すこともよく
あり、母は20~30人分のお客様の料理を全部手作りでおもてなしを
して、お開きはいつも夜中。
その宴のあとの山のような後片付けをするのを父は何一つ手伝ったこ
ともねぎらいの言葉をかけたこともなかったそうです。

ちょっとアタマにきた母が、

「あなた、なにか私に言うことはありませんか?」とわざと聞くと、

「ありがとう」と言うかと思いきやさにあらず、

「大儀であった」とひとこと言って、さっさと寝たそうです。

(私、そんなこと言われたら、「ふざけるなあ~っ!」と卓袱台ひっ
くり返しそうです?!)

「でもお父さんは、自分にも厳しかったし責任感も強くてそれだけの
こともちゃんとやっていたからねえ」ーーとどこまでも父をたてる母。
うーん、妻の鑑であります?!

晩年、脊柱管狭窄症でひとつひとつの動作がのろくなった父は、外出
時、玄関で待つ母から「まだですかっ!」と逆に急かされる立場にな
りましたが、母は昔のかたきをとった?!と溜飲を下げると同時にさ
びしくもあったのではないかなあ・・などと思ったりもしました。

たった2日間の鹿児島滞在でしたが、総勢約30名の懐かしい方々に
お目にかかることができました。

これまでの年月、皆それぞれに、楽しいことばかりではなく、辛いこ
と苦しいこと、いろんなことを抱えながら人生を送ってきたわけです
が、あるひととき触れ合ったご縁がお互い大切ないい思い出としてず
っと残り、今またこうしてすぐあの頃に戻ったかのようにお付き合い
が出来ることに心から感謝した旅でした。

母も、おばちゃま方から「新幹線で1時間19分で来られるんだから、
これからはちょくちょくおいでっ」と言われていましたので、きっと
また近いうちに訪れる機会があることでしょう。

そのときはまた私も妹もお供をしたいと思っています。

次にお目にかかる日を楽しみにーーーーどうぞ皆様お元気で

本当にありがとうございました。m(_ _)m




2011・8・10 鹿児島の隠れ家Cafe

先週末、母と妹と鹿児島に行ってきたSophieです。

父の一周忌がすみ、母も少し落ち着いてきたということで、父の鹿児
島大学時代のお弟子さんの先生方が「”偲ぶ会”を開いて思い出話をし
ましょう」と母を招待してくださり、私と妹は母のお供でついていっ
たのです。

私は中2まで、妹は小1まで住んだ所なので懐かしさもひとしおです。

その会についてはまたmy lifeカテゴリーで後日ブログに書くつもり
ですが、今回はもうひとつの目的の方を・・。

それは「ぜひあなたを連れて行きたい素敵な所があるの」と前から友
人エイコさんに誘われていた、彼女のお友達が週に一日金曜日だけや
っているという隠れ家Cafeに行くこと。

エイコさんは、息子が幼稚園時代のママ友ですが、その当時からレス
トランに自分で焼いたパンやケーキをおろしていたというお料理上手
でセンス抜群な方ーーーご主人が6年前に鹿児島に転勤され、以来鹿
児島と自宅のある福岡、そしてお母様のいらっしゃる佐世保をしょっ
ちゅう三点往復されているパワフルな方でもあります。

鹿児島の彼女のマンションからの景色。観光客には噴煙を上げる
桜島は勇壮で絵になる景色ですが、地元の人は灰が降ってタイヘン
だろうなあ。
    ↓
桜島


私達が鹿児島に来る日に合わせて、彼女も鹿児島に来てくださり、オ
ススメの"TAO Cafe" に案内してもらうことになりました。

ーーが、ここでひとつ問題が。

TAO Cafeは霧島市の福山町という鹿児島市内から車で1時間ほどの
ところにあるのですが、エイコさんは「超」が2つも3つもつくくら
いの信じられない方向音痴のうえに運転がものすご~く苦手。

「とても他人様を乗せられない」と言うのです。

私も知らない所は運転したくないし・・と考えて、ハタ!と
私の小学校時代の同級生で個人タクシーをやってるN君を思い出しま
した。

「そうだ、彼を半日貸し切りでお願いしましょう!」

ーーということで、運転はプロにおまかせです。

小学生のとき、N君もよくうちに遊びに来ていて、私の弟とキャッチ
ボールをしていたという昔話にも道中花が咲きました。

しかし、「私の方向音痴はハンパじゃなくて、方向音痴オーラがどん
な運転のうまい人にでも影響を与えてしまうのよねー」

というエイコさんの言葉どおり、運転のプロのはずのN君も、行きは
高速の降り口を間違え、帰りは曲がるところを間違え・・・で普段は
やらないミス連発。

おそろしや、エイコさんの方向音痴オーラ!!

台風の影響で途中何度かすごい雨にあい、道はどんどん山の中に分け
入り、最後は車一台がやっと通れるぐらいの細い道をおそるおそる進
み、「ほんとにこんな所に家があるの?」と最後までいぶかしがりな
がらやっとたどり着きました。
  ↓
TAO

アプローチが長い!
  ↓
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デッキからの眺め。晴れていたら錦江湾と桜島も見える・・はず。
  ↓
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おうちの外観
  ↓
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裏は「森」。宅地ではなく「山林」として買われたそうで、電気も
水道もとおってなかったそうです。月~木は鹿児島市内でお仕事を
され、週末はこちらで草取りに追われる日々だとか。でも「山が好き
で好きでたまらない」からきっとそれも楽しみでいらっしゃるので
しょうね。おうちのまわりには元々の森と渾然一体となった自然な形
になるようにいろんな季節の植物が植えられていました。
   ↓
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エイコさんのお友達だけあって、カフェのオーナーのマキさんも素晴
らしいセンスの持ち主。しかも女優さんのようなすごい美人!!
     ↓
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テーブルの上にさりげないお庭の花
   ↓
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冬は大活躍するんだろうな。暖炉のあるすてきな空間。
  ↓
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スコーンにチーズケーキ
  ↓
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かぼちゃプリンに北欧製の紅茶
   ↓
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看板犬のブラウニーはとってもお利口さんでした
  ↓
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山の空気に癒され、マキさんの夢のように素敵な生き方に感嘆し、
気持ちがほわわとするおもてなしを受け、ほんとに優雅なひととき
でした。


実は、エイコさんと打ち合わせのため電話で話しているときに、私が
「5kg太っちゃって体脂肪が32.8%にもなった。もうこのトシだし、
どうでもいいわ体型なんか」という話になり、私が太ると「仲間がふ
える♪」と喜ぶエイコさんは「イヒヒッ」 ( ̄∀ ̄*)v と嬉しそうに笑
いながらも、「マキさんはすごーーく綺麗だから、彼女に会うとまた
モチベーション上がるかもよ」と言われていたのでした。

モチベーションは上がったけれど、あまりにも自分とはかけ離れすぎ
てめざすべき目標としては高過ぎます・・・このもてあましたモチベ
ーションをどうする?!

そんな私に、先日、マラソンランナーかつスポーツトレーナーである
エイコさんのお嬢さんノリコちゃんから電話がかかってきました。

別に私の事情など何も知らないでかけてこられたのですが、

「今度、私NHKのカルチャーでステップ運動とスロージョギングの
クラスをやることになったんですけど、来られませんか?」

とのお誘いでした。

ほらほら、また来ましたよ、引き寄せが!

ステップ運動とスロージョギングとは福岡大学スポーツ科学部の
田中宏暁教授が考案されて、NHKの「ためしてガッテン」にもとり
あげられたことのある「にこにこペース」でダイエット効果があがる
運動です。

二つ返事で「行く行く~~~!」と自らを追い込む私。

実技では実際に大濠公園でのジョギングもあるらしい・・。
(ついていけるか、自分?)

ま、とりあえずめざせ、-3kg!( ̄ヘ ̄)/ 

私が痩せたらエイコさんが悔しがるかな?! イヒヒッщ( ̄∀ ̄)ш



2011・8・3 「古い」お話

Sophieです。

東京の大学時代にお茶を始めた娘。
福岡に帰って働き始めてからも、こちらでいい先生をご紹介していた
だき、楽しくお稽古を続けているのですが、その娘が「家でもお茶を
点てたいからお茶筅を買って」と甘い声でねだってきました。
(だいたい、働いてるんだから自分で買えよ、という話ですが、つい
つい言うことをきいてやってしまうダメ親・・

茶筅は、100円ショップでも売っているそうですが、ちゃんと使え
るものなのでしょうかね?(一度試してみたいと思っていますが)

商品券が少しあったので、一応デパートでちゃんとしたものを買い求
めました。

「抹茶は、たしか、少し前にお菓子作るために買ったものがうちにあ
ったはず・・とりあえずあれを使えばいいわね」

と、お茶筅だけを買って家に帰りました。

いざいざ、とおもむろに棚から抹茶缶を取り出してみるとーーー

あれ? 全然、「緑色」じゃない。

どちらかというと「グレー」っぽい、すごくヘンな色・・・。

それに香りも全然しないし・・。

すると、娘が「ぎゃ~~!」と声をあげ、

「ママ、これ、賞味期限2004年!!ママの“少し前”っていったい
どんだけ前よ!」

「え~~~っ!!ついこの間って思ってたのに!」

トシとるにつれ、月日の経つのがどんどん早くなっていますが、これ
ほどとは・・・。

息子の結婚式もひと月後に迫ってきましたが、先週、
「披露宴で新郎新婦紹介の時に使うから子どもの時の写真がいるんだ
って」と、その写真を選ぶため、熊本出張のついでに息子が家に帰っ
てきました。

古いアルバムを久しぶりに開きましたが、そうよ、あの子が生まれた
のだって「ついこの間」のことのようなのだから、2004年が「少
し前」と言ったっておかしくはない?!
ーーー(いや、充分おかしいですけど)

それにしても時の流れの早いこと早いこと。

明治どころか、「昭和は遠くなりにけり」です。

友人のKちゃんの話によると、お嬢さんのルミちゃんは娘と同じ歳な
のですが、昭和のことを私達が明治を語るように話すのだそうです。

たとえば、私達が若い頃、頑固でわからずやの人を称して「明治の男
みたい」と言っていたように、

「あの子、考え方が古くって昭和の人みたい」

「OOちゃん、かわいいんだけど、服のセンスがいまいちダサイのよ
ね・・昭和っぽいというか・・」

「OOちゃんち、すごく古いおうちで、昭和って感じだった」

などと言うそうなのです。

彼女達のイメージの中で、私ら昭和世代ってどんだけ古いと思われて
るのだろうか・・・?!

(言っとくけど、あなた達はたしか昭和の最後の生まれのはず。立派
な昭和世代よ)

しかし、明治に関しては私の中では「頑固」「偏屈」「封建的」とい
うよりは、むしろ「一本スジが通っている」「凛としている」「忍耐
強い」
という肯定的なイメージの方が強くあります。

NHKの朝のテレビ「おひさま」に出て来る渡辺美佐子演ずる桐野
富士子(主人公の”おばあさま”)なんて、典型的な私の中の「明治の
人」です。
  ↓
おばあさま(おひさま)


夫を亡くした後、しばらく孫娘である陽子(井上真央)たちと暮らし
ていたけれど東京へ戻ることにした”おばあさま”が、「東京に帰って
も一人でおさみしいでしょう。このままここで暮らされたら?」と、
皆に引き止められた時に答えて言ったセリフにはグッときてしまい
ました。

「人間は我慢したり、無理したりすることも大事なのです。そうしな
いと”シャン”としなくなりますからね。私は”シャン”とした人間であ
りたいのです」


なんて”カッコいい”んでしょう!!

いまの平成世代に、昭和世代もこういうふうに”カッコいい”と思わ
れたら嬉しいのですが・・・・少なくとも私は無理そうです・・・。

抹茶の話に戻りましてーー

娘にあきれられながら、一緒に近くのスーパーへ抹茶を買いに行きま
した。

お~、やはり開けたての抹茶は鮮やかな色

缶底に記載された賞味期限は、今年の12月ーー缶の横には
「お茶は鮮度が大切ですから早めにお飲みください」の文字が・・。

いま、毎朝娘がお茶をたてて供してくれているので、今回はグレー
変色することなく、12月までには間違いなく消費するであろうと
確信している私です。




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